100万円と見込み収入

今週のお題「もしも100万円が手に入ったら」


臨時収入として100万円入るなら、今すぐ会社を辞める手続きに入る。
なぜなら、妊娠したので。


現在2ヶ月。

いわゆる食べつわりというものらしく、空腹だと吐き気が増す。こまめになにか口にして、吐き気を抑えるが、そうするとおなかをこわしたりする。
体が熱くて、夜中に頻繁に目が覚める。そのたびにヨーグルトやゼリーやビスケットを食べて、空腹を抑える。食欲はないけど、食べないと気持ち悪くなるから、無理やり食べる。

片道一時間半の通勤は、電車に乗っている時間は短いしほとんど座れるのだが、なにしろ歩く距離が長い。
仕事自体は事務でずっと座っていられるし、好きなときにトイレにも行ける。
でも7時間もパソコンに向かっているのは、やっぱり、それなりに疲れる。
そこから駅までの道のりの長さ。
汗をかいて電車に乗れば、今度は寒くて気持ち悪くなる。
電車を降りて、家までまた20分近く歩く。


何を食べても吐いてしまうようなつわりに比べれば、はるかに楽だとは思う。
友達はそれでとても働ける状態ではなくなり、仕事を辞めた。8kgも痩せたという。
比べてはるかに楽とはいえ、平常時に比べれば、きつい。体の違和感も疲れやすさも寝不足も、寒さも気持ち悪さも。
世の中の母親というものは皆、太古の昔から脈々とこれを乗り越えてきたのか、と思うとくらくらする。


夫は、無理して働かなくてもいいよ、と言う。
しかし、現在月に12日ほどの出勤で、月収が10万円強。
産休を取ることはたぶん出来ず、出産前に辞めることになるが、それまで、例えばあと半年働いたら、得られる収入は60万。
うちの猫(持病持ち)にかかる費用に換算すれば、2年分くらいか。
今だけ耐えれば、どうにかやり過ごせば、安定期に入ればきっと少し楽になるにちがいない(イメージ)。
だから辞めない。


つまり今の私は、自信をもって100%、お金のためだけに働いている。
具体的な見込み収入60万のために。

なので、ぽんと100万円が手に入るなら、辞める。
今のしんどい時期に働かなくては手に入らないはずのお金が、何もしなくて手に入るなら、それは、辞めます。
合わせたら160万だよ? とかは考えない。もともとないはずのお金だから。
いや、ないはずというか、ないんだけど。

…ないんだけど。

ないから、辞めずにがんばります。



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のうぜんかずらの季節

上半期をふりかえる(4月から6月)

今週のお題「2016上半期」


続き。

4月にブログを始めた。
でも最初の頃は何をどこまで書いたらいいのかわからなくて、改めて日記を見てみたら、これブログに書いてもよかったのではないか、という出来事もちらほら。
なにしろ帰省してるし。

実家は雪国なので、春が遅い。
4月の後半に、今年の桜は早いよ、もう咲き始めたよ、との情報を母から得て、週末に急遽帰省。
雪国の春は本当に美しいのだ。
雪が解けたあと、一斉に芽吹き、ほどけていく。
桜だってソメイヨシノばかりではない。むしろ近所にはソメイヨシノの方が少ない。山には山桜、公園には枝垂れの八重桜、鬱金御衣黄。地面にはたんぽぽ、姫踊子草、オオイヌノフグリ水芭蕉カタクリ、野生の菫。
春、最高。

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春の妖精


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ぽこんぽこんしてかわいい



ほかに印象的だったのは、ショートメールで人とやりとりする機会が多かったことだ。


帰省するその日の朝、Evernoteメールマガジンをなんとなく見ていたら、昔の友人がインタビューされていて、うおおと思ってメールを送るが、届かない。もう5年くらい連絡をとっていなかったから、そりゃそうか、と思う。
でも、元気そうでうれしいと伝えたい。私も元気だよと伝えたい。
本当にお世話になった人なのだ。

携帯メールが不通なら、ショートメールだねフフフ、と1月の経験を生かして送ってみたら、まもなく返事が来た。
あの頃ほんとうにありがとう、とも改めて伝えたかったけど、向こうは仕事中のようだし、手短に切り上げた。


その人とは、まさに雪国で暮らしていた頃に仕事で出会ったのだけど、当時の職場の所長にも、今から帰りますけど明日会社にいますか? とショートメールで送った。
結婚したときに報告したら、たまには遊びにこいよ! と言ってくれていたので。
今回は残念ながら仕事で別の場所にいるということで、会えず。


その数日後、大学時代の友人から、ショートメールが来た。
彼の会社の社長がうちの弟(大学が同じだったので彼とも顔見知りで、現在雪国の地方公務員)と会う機会があり、お世話になりました、というたわいない内容。
お互いの近況を軽くやりとりする。
もうすぐ子供が生まれるらしい。


そんな感じで、去年は二回くらい使ったかな? 程度の(そのうち一回は前述の所長だ)ショートメールに年始からやけにお世話になった上半期だった。
ナンバーポータビリティとかいうあれのおかげで、アドレスは変わっても電話番号は変わらない人が多いので、これは便利なシステムだなあ、と実感。


5月以降はちょこちょこブログに書いてるので、いいかな!
時間切れ!


ブログを始めて、少しずついろんな方に見ていただけるようになり、ありがたいかぎりです。
こんな毒にも薬にもならないような文章を、読んでくださる方。スターをくださる方。
本当にありがとうございます。
精進します。

上半期をふりかえる(2月と3月)


今週のお題「2016上半期」


続きまして2月。
2月は日記を見なくてもよく覚えている。
新婚旅行に、フォトウエディングだ。
籍を入れたのは去年なのだけど、去年は猫にいろいろあってそれどころではなかったので、ようやく落ち着いてふたつのミッションを片付けることができた。

新婚旅行は瀬戸内海の

と書いていて、これもし知人に見られたら私だと即ばれてしまうな、と怖じ気づいたのでこの話はやめておきます。
もう遅いか。

そもそも1月、2月って、これ6回もやってたらもう次のお題になってしまう。
巻きましょう。


2月はまあそんな感じで、日数少ないわりにイベントみちみちだった。
そんな中、朝の通勤電車の出来事。

先頭車両、ドアの横にカップルが密着して立っている。男が女を後ろから抱きしめる形。次の駅で降りるのでドア前に移動し、彼らのすぐ隣に立つと、二人も降りるのか、無言のまま女は振り返り、男のほうを向いた。すると男はゆっくりと、本当にゆっくりと、女の茶色いつやつやの髪を撫でた。
ぶは、と笑い出しそうになり必死で堪える。マスクしていてよかった。

このとき感じた面白さは、どうしてもうまく人に伝えることができないままだ。

笑ってしまったのはカップルの仲睦まじさではなく、時間の流れる速さの違いの、強烈さ。
真っ先に電車を降りて階段をざんざん上って降りて、改札を抜けて速歩き、というこれからの流れを頭の中でせかせかとイメージしている私の真横で、突然のアダージェット。
聴いていた音楽が、前触れもなく、突然1/4くらいの速度になったような。
要は二人の世界にまんまと巻き込まれてしまったのだ、一瞬。

その日は半日くらいほくほくして過ごした。



続きまして3月。

ある日、昔の友人の夢を見た。とても風変わりですてきな人だ。
その人に久しぶりに会い、名字が変わった話をする。漢字で書くと、こう、と説明する。
ファンタジックだな、とその人は言う。
その日の朝のこと。

交差点の近くを歩いていたら、空から白いものがふわりと落ちてきた。小さな羽毛だ。おそらく鳩の、羽根の内側の柔らかな毛。ファンタジック、という言葉が蘇る。夢の中から私に魔法をかけたのか、君は。


日常にもドラマチックなことはある。


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猫ばっかり撮ってる

上半期をふりかえる(1月)

そうか、やっと半年か、という感じがする。
せっかくなので振り返ってみます。

とはいえ1月のことなど何ひとつ覚えていない。
こんなときに便利なのが、iPhoneアプリ「100年日記」。


もともとEvernoteに何年か日記を書いていたので、連携させて、さらに昔自分でHTMLを組んでWebで公開していた日記も取り込み、2200日以上の日記がまとめて読めるようになっている。
ちょっとした叙事詩だ。
HTML時代と並行して、5年くらい、紙の日記帳にも1日1ページつらつらと書いていたので、本当はそれもスキャンして入れたいくらい。


話が大きく逸れた。

日記を確認したところ、何もないと思っていた1月にもそれなりに出来事はあった。

まず、新年の挨拶をしようと久々にメールした友達のアドレスが変わっていて、連絡がとれなくて落ち込んだ。
会おう会おうと言われていたのに後回しにしてきてしまったから、ついに見放された、と思った。
それなら私のせいだから仕方ない。
でもどうか無事でいてほしい。何かの事件に巻き込まれたりせず、無事でいてくれるなら、それでいい。
でもそれさえ私には知る手段がないのだ。

と一晩と半日くらいくよくよしたあと、そういえばショートメールという手があるではないか、と気づく。
送ったらすぐ返事がきた。
昨日ちょうど機種変更して、操作がよくわからなくて放置してました! と。
ほっとした。
無事でよかった。

その後その子と飲みに行き、相変わらずかわいくていい子で幸せな気持ちになった、というのが1月。


あと、ベランダの多肉植物が霜にやられて2割ほど死んでしまった。
ショックすぎて一週間くらい現実を受け止められず。
去年はそういえば室内に入れてたよ…なんで出しっぱなしで平気と思ったんだよ…と自分を責める日々。


もうひとつ、日記を見ていたら

前に住んでいたアパートの通り、塀の上に大きな烏がとまっている。ちょうど目の高さ。大きくて、黒くつやつやしている。羽根は紫にも緑にも見えるような色。とにかく大きい。こんなに大きかったか。視線を合わせないよう、傘に隠れてすぐそばを通り過ぎる。通勤途中で烏に襲われたら労災は下りるのだろうか。

と書いてあって、何書いてんだこの人と思った。


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2月につづく


今週のお題「2016上半期」

雨の日には雨の歌

雨の日は雨の歌が聴きたくなる。

iPodに「雨」というプレイリストを作って、会社への道を歩きながら聴く。
その中から、聴いてると特に世界がきれいに見える(個人の感想)2曲。



キリンジ『Lullaby』


大好きなのです、キリンジ
兄弟ラストライブは初日と千秋楽に行って、その後数週間、あー、…あー…、と呟きながら茫然と過ごしました。

キリンジは雨の歌が多くて、『雨を見くびるな』もサビのコード進行がものすごくて好きなのだけど、雨の日によく聴くのはこちら。
音数の少なさが雨っぽいのか。

DODECAGON

DODECAGON


ライブ盤も好き



奥井亜紀『海の底のホテル』


アニソンの人、という印象があるけど私は中学の時ラジオで『泣くもんか』という曲を聴いて以来のファンだ。
彼女には珍しい雨の日の歌。
声に、表現力というか、一瞬で場面を変える力があるので、一気にその曲の世界に連れていかれる。
眼前に繰り広がる雨の街。
ビニール傘のくらげ、というフレーズが秀逸。

音海スイム

音海スイム




余談
件のキリンジラストライブ、Blu-rayを買ってしんみり観てたら、突然客席に自分が映って現実に引き戻されました



何度観てもしんみりしちゃう


今週のお題「雨の日グッズ」


雨ふり通勤の友

今週のお題「雨の日グッズ」

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ちょうど先週、くるぶし丈のレインブーツを買ったところ。

エーグルの長靴は持っているが、がぼがぼしていて、長時間歩くと膝が痛くなってしまう(膝の皿にやや水が溜まっています)。

でも大足の私に合う、丈の短いレインシューズなど、と諦めかけていたら、オリエンタルトラフィックのアウトレット店舗にあった。
オリエンタルトラフィック
私の履けるかわいい靴はやはりここにしかない。

まあ濡れなければいいか、くらいの気持ちで買ったのだけど、これがとてもいい。
サイドゴアになっていて、フィット感がすごい。思ったよりずっと歩きやすい。

レインシューズの最大の利点は、いや最大は靴下が濡れないことかもしれないが、それに劣らぬ利点は、下を見て歩かなくていいことだと思う。
歩道の水たまりもざぶざぶ入っていける。

うつむいて歩くのは精神的によろしくない、と以前どこかで読んだけど、下を向いて水たまりを避けながら歩くより、前を見てまっすぐ歩いたほうが、そりゃあ、清々しい。

雨の日も憂鬱じゃなくなるってもんだ。



これです、まさにこのサイズ。助かる。


これは自転車通勤の頃に重宝した。最近のレインポンチョは丈が長いから足まで隠れるのかもしれないけど、合羽だと膝下は濡れるので。

エーグルはかなりゆったりめなので、本当は試着して買ったほうがいいと思う。



ひとりでなにが悪い

「ひとりじゃない!
あなたを想っている人は絶対いるよ!」

東武鉄道の車内広告に書いてある。

初めて見たとき、おお…と思った。
飛び込みが全国一多いとかいう噂は聞いていたが、そんな広告を出すほど、多いのか…。
青色の灯りを取り入れたり、非常ベルを設置したり、啓発活動を行っています、という内容の広告なのだけど、
果たしてこの広告にどれほど効果があるのか。

あなたを想っている人がいなければ飛び込んでいいのか。



大学生のころ、一冊の本に出会った。
枡野浩一『ハッピーロンリーウォーリーソング』。

当時は短歌にはまったく興味がなかったのだが、本屋でたまたま見つけて手にとってみた。
1ページに一首、対向ページは単色の写真、というつくり。
買って帰り、ゆっくり読んだ。はー、と息をつきながら、時間をかけて読んだ。


いちばん好きなのがこの歌だ。

だれからも愛されないということの自由気ままを誇りつつ咲け

そのころの私は、就活はうまくいかないし、彼氏は私の友達を好きになっちゃうし、なりたいものもなく、なにを支えにこの先を生きていったらいいのか途方に暮れていた。

でも、それは自由であるのだと。
そんなふうに胸を張って生きていいのだと。

実際には私には愛してくれる親も親友もいて、だれからも、なんてことは決してないのだと知っていた。
それでも、この歌は私を強くした。
強く生きていけると思った。



私が自分でも短歌を作りはじめるのは、そこから5年ほど経ってから、また別のきっかけを受けてなのだけど、
その間もこの歌だけはお守りのように心で呟いていた。
作るようになって、そういえばあれも短歌であった、と改めて気づくほど、私の中になじんでいた言葉。



ひとりじゃない、と君は言うが、
ひとりであることが、愛されることより劣るなんて誰が決めたんだ。

当たり前にそうやって決めつけることが、悲劇を生むんではないか。


そんなことを、電車に揺られながら思った。


ハッピーロンリーウォーリーソング (角川文庫)

ハッピーロンリーウォーリーソング (角川文庫)