短歌の目1月(どうして星が)
短歌の目1月。今月も参加させていただきます。
題詠 5首
1. 編
編み込みも大人になればできるはずだった 優等生のはるちゃんみたいに
2. かがみ(鏡、鑑も可)
いつのまに鏡の世界をあきらめて生きていくこと決めたのだろう
3. もち
雪の日はおもちもちもち二個入りをひとりじめする 内緒にしてね
4. 立
ぶすのうえ気立てもわるい 息を止めどうして星がこんなに見える
5. 草
草の名は知らずめずらし花の咲く ひとりぼっちを許す青空
テーマ詠
テーマ「初」
もうすぐでふたつのいのちは分かたれて初めてに満ちた日々がはじまる
暗闇に十月十日を泳ぎきり君は生まれる ようこそ世界
マタニティブルー的なものを分析してみる、その2
前回の記事に続いて、不安なこと、ふたつめ。
出産といえば、鼻からスイカと言われるくらい、とにかく死ぬほど痛いというが、実は私は、痛み自体はそれほど怖くはない。
もともと生理痛がかなり重く、痛みで意識が飛んだことがあるくらいなので、分娩中に気を失ってしまったらどうしようとは思うけど。
耐えれば終わるものなら、たぶん耐えられる、と思う。
怖いのは万が一の事態が起こることだ。
私が突然に終わってしまうこと。
だれもが経験する尋常でない痛みより、ごく稀にしか起こらない、だけど確実に起こらないとは言いきれない、不測の事態が自分の身に降りかかることのほうが、ずっとずっと怖い。
もし私が死んだら、夫から私の両親や友達に連絡してもらわなくてはいけないのか、と考えると、夫の心情を思って泣きそうになる。
私に万が一のことがあったら、猫たちをよろしくね、とめそめそしながら言うと笑われた。
夫は本来とても心配性で、そんな彼が最悪の事態をまったく考えていないなんてことはないのだと思うが、考えないようにしているのかもしれない。
しかし、世の中に絶対などないのだ。
それを言ったら、明日ミサイルが飛んできて、とか、もっと現実的に何か事故が起きて、という可能性もゼロではないので、本当にきりのない話なのだけど。
さらに、もしも私か赤子のどちらかしか助からない状況になったら、とも考える。
まだ、生きたい。
といって、いま、この体の中で手足を動かし、ぐにゃりと向きを変え、しゃっくりをしている生き物は、まだ外に出てきていないだけで、もう完全に私とは別の命なのだ。
それが私より大切でないなんて言えない。
どうしたら、死にたい なんて思わずに生きられるのかな 空しらじらと
という歌をずいぶん昔に作ったことがある。
ふとしたときに、死にたいような投げやりな絶望感が出てくることが、実は最近までたまにあったのだけど、今はとにかく、生きねばと思う。
生きて子供に会いたいし、夫にも親にも会わせたい。
私も赤子もどちらも無事であることを、祈るしかない。
神様、それから先生、どうか。
そういえば元日に引いたおみくじでは、安産と言われたのだった。
信じます。
マタニティブルー的なものを分析してみる
いよいよ臨月に突入しました。
夜になると謎の不安感で苦しくなり、これがマタニティブルーというものなのか、なんなのか。
楽しいこと、楽しみなことは山のようにある。それでも、これから始まる日々は、たぶんなにもかもが新しい。変化に不安はつきものだ、だから仕方のないことなのだ。
とはいえせっかくなので何が憂鬱なのか考えてみた。
そのうちひとつは、いいかげん大人にならなければいけないらしい、ということ。
30代半ばにもなって、大人になるも何もないだろう、というのはとりあえず置いておきます。
発端は、産後ひと月後のお宮参りに何を着ていくか、だった。
服は手持ちのものでなんとかすることにしたが、アクセサリーくらいは着けようかな、でも持っているのは友達の結婚式で着用したきらきらしたものか、猫モチーフのカジュアルなものか、なのでこの際、淡水パールのネックレスでも買おうかな、とネットであれこれ見ていたのだ。
目についたのが、小さめのバロックパールのもの。とてもかわいい。とても、好きだ。
でも、と踏みとどまる。
今後訪れる入園式だの入学式だの、さらには冠婚葬祭だの、のことを考えると、バロックでない普通のパールを買うべきなのではないか。
この年まで持たずに借りたりしてやり過ごしてきたが、そろそろ買うべきなのではないか。
そこで、冠婚葬祭にも適した普通のパール(といっても予算的に淡水ですが)を見始めたのだが、これが、まったくそそられないのだった。
欲しい、という感情が湧いてこない。
でもこっちを買うのが正しいのであろう。
正しいってなんだよ。なんなんだよ。
欲しい、好きだ、と思うものはこれからの私には必要なものではなく、必要なのは大して欲しくもないものであるということ。
それを必要としているのは私ではなく世間だ。
大人ならばそのくらい持っているべき、という誰が決めたかわからない常識。
大人なら、というそれだけならば無視してこられたが、これからはそこに、母親という肩書きが加わる。
そうなると、私ひとりの問題ではなくなってしまう。
私ひとりが非常識な大人であるとみなされるのは構わないが、子供が、非常識な母親の子、とみなされてしまうのは、避けたい。
母になるって、そういうことなのか。
守るものが増えるということは。
今、冷静に考えると、とりあえず普通のパール一本くらい持っててもいいんじゃないの、そんなめんどくさいこと考えずに、と思うのだけど、それを考えていたときは本当に憂鬱だった。
なにしろ、好きな言葉は反骨精神、と豪語してきた私だ。
それが、これからは同調圧力に屈して生きていくのか。
とうとうおまえもつまらない大人になっちまうのかい、てなもんだ。
ということで、この憂鬱は、生活の変化というより、私が変わってしまうこと、変わらなくてはいけないらしいことへの不安に由来していたことがわかった。
いや、まだ諦めるな。
見た目は大人のように取り繕っても、心だけは屈するな、忘れるな、今のこの、腑に落ちなさを。
欲しいものを諦めて欲しくないものを買う。そこに自覚的でいたいと思う。欲しくないものを欲しいと思い込んで、自分を騙すよりも。
これからも正直に葛藤して生きていくのだ。
真夜中の薄暗がりの円い目が教えてくれる 私は私
ご挨拶と、母体という容れ物のこと
あけましておめでとうございます。
去年の4月頃に開始し、妊娠してから放置ぎみになっていたところ、短歌の目さんのおかげで11月から再びやる気を取り戻してきたこのブログですが、今年も細々と続けていけたらなあと思っております。
来てくださる皆様、本当にありがとうございます。
皆様にとり今年が好ましい年でありますよう、お祈りしております。
こちらは出産を来月に控え、体重増加の恐怖と戦う日々であります。
年末から生クリーム菓子だの、餅(大好物)だの、煎餅だの呑気に食べていたら、一週間で2kg増えました。まあ驚いた。
前々回の検診で、私の前の人が体重のことでひどく怒られていたので、これは私も確実に怒られる。
それからは節制して、なんとか800g増まで落としたのですが、今回はそんな時に友人の言葉にむむっと思った話。
2kgも増えちゃった、どうしよう怒られる、という話を友達にすると、以下のようなことを言われた。
それはまずい、怒られるだけでなく子供にも影響があるかもしれない。子供のためだよ。食欲に負けるな。
もやもやした。
体重が急激に増えるとリスクが高まることは私もわかっているし、子供のためにがんばらなきゃなあ、とは思う。
でも、なんだろう、この違和感は。
寝ながらもやもやと考えていて、気づいた。
おそらく、言外に「子供のためだと思えばなんだってがんばれるよね!」というニュアンスを感じてしまったのだ。
そりゃあ、がんばりますよ、私だって。
でも、私の感覚では、「子供のために、しょうがないからがんばる」なのだ。
そんなポジティブにアドレナリン出しながらがんばれない。
妊娠してから、私は容れ物なのだな、とよく思う。
子供のために栄養を摂り、生魚や生卵などリスクのあるものは食べず、重い物は持たず、ここ最近は特に切迫早産ぎみのため、外出を控え、無理をせず、疲れればすぐ横になる。お腹が重くてあまり眠れないけど、それでも横になる。
今の私は子供のために存在しているのだと思う。
それは決して「あなたを守るために生まれてきたのよ」的な陶酔感ではなくて、今の私は単なる子供の容れ物、培養土に過ぎないのだ、という感覚。
子供の誕生はもちろん楽しみだ。楽しみで仕方ないと言ってもいい。毎日おなかに話しかけているし、生まれたら一緒にやりたいことや行きたい場所が山のようにある。
なので容れ物であることに嫌悪感はない。ただ、容れ物だなあと思うだけ。
でもそれを、母親ならば子供のためになんでもがんばれるのが当然、という感じで言われてしまうと、あなたは容れ物に過ぎないのよと人から言われているみたいで嫌なのだ。
母親であっても私は私であり、私には私の意思がある。
容れ物と思うのは私だけでよくないか。
今回の彼女も一児の母で、たぶん実際に、子供のためならがんばれると思ってやってきたのだろう。
それはきっととても正しいことだ。
だけど、正論は相手の口を塞ぐ。
友達だからこそ、良かれと思って言ってくれているのだろうけど、むしろ友達だからこそ、子供より私自身を気づかってもらえたら、うれしかったのになあと思う。
容れ物としての私ではなく、私自身を。
甘えてるのかもしれないけど。
これから先も、そういう正論、母親とは子育てとはかくあるべし論、とたくさん出会うのだろう。
「子供のためにしょうがないからがんばる」なんて、そんな考え方で母親になる資格なし、とか言われちゃうのかしら。
私も、父親とはかくあるべし、を夫に押しつけないように気をつけようと思う。
日の出の写真が見当たらなかったので何年も前の日没の写真です
神様と自由と私
前回、「短歌の目」に参加させていただいて、気づいたことなど。
前回の最後にも書いたように、数年前に作った歌には、神様、あるいは自由、という言葉が頻繁に出てくる。
まず、神様について。
神様の城のふもとに住んでいた怖いものなどなにもなかった
私が住んでいた場所は山に囲まれた小さな集落だった。
夜になると、山を渡る風の音がごうごうと近づいてきて、屋根の上を通り過ぎていく。
あ、神様が通った、と思う。
そういう感覚が自然に浮かんでくる場所だった。
神様に守られている。
そのあたり一帯を示す地名に、神という字が使われているのは、たぶん偶然ではないと思う。
その場所に来るまで、訳あって不自由な暮らしを強いられていた(そもそもは自分のせいなのだけど)が、そこでの生活は、自由そのものだった。
ひとりの時間が山のようにあり
車でどこへでも行けて
給料もかなり自由に遣えて
会いたい人に会い、見たいものを見て、欲しいものを買い、歌いたいときに歌う。
そうか、これが自由か、と羽根が生えたような思いだった。
自由に勝るものなし。
誰がなんと言おうと、不自由な安らぎより、孤独な自由だ。
心からそう思っていた。
が、現在の夫と付き合いだしてから、事態は一変する。
私の自由さは相手を不安にさせるものだったのだ。
ひとりの時間はほとんどなくなり、会いたい人に会うこともできなくなった。
初めは本当にきつかった。私のいちばん大切なもの、自由、がどんどん私から剥がれていく。
自由であることこそ、私らしさだと思ってもいたので、自分が自分でなくなってしまうような恐怖もあった。
だけど、その状況にもやがて慣れた。
自由でなくても、私は私なのだった。
それに、相手のほうも慣れてきた結果、それなりの自由を再び獲得できたというのも大きい。
それでも時々、不自由だなあと感じる瞬間があって、そんな時に作ったのが、短歌の目の投稿に使った、
欲しいのは音楽と限りない自由 紅いあじさいベランダに置く
の一首だった。
それから結婚して、一年半前、同棲していたアパートから今の住居へ引っ越すときに作ったのが次のもの。
冷蔵庫のマグネットをひとつひとつ剥がしてしまう さよなら自由
これが現時点で、自由、という言葉を使った最後の歌になる。
さよなら自由。
本当にそこでさよならしたのだと、いま思う。
おそらく、自由そのものというより、自由というものに囚われることに。
そんなわけですっかり、自由って何だっけ、という感じになってしまい、今回のお題のために、いざ自由、自由、と作ろうとしても、全然思いつかない。
そのため、やむを得ず三年前に作った季節はずれのものを載せることになりました、という顛末です。
あんなに自由に拘っていたのに。
そんな拘りから解放された今のほうが、よっぽど自由な感じもする。
自由は自分の心の中にあったのね、なんてしょうもないことを思う年の瀬。
妊娠中の今は、食べてはいけないものも、出来ないこともたくさんあるとはいえ、特に不自由だなんて感じないけれど、
子供が生まれて、自分の時間がなくなって、そうなればまた私は自由を切望するようになるんだろうか。
そうなったら、また、自由の歌を作るのだろうか。
それとも、そんな時間も余裕もなくなるのかな。
気持ちを書きとめておく余裕だけは残しておきたいと思うけれど。
短歌の目12月(神様の城)
短歌の目12月、今回も参加させていただきます。
1. おでん
染まらないのは美しく寂しいことだ はんぺんの白がおでんに浮かぶ
2. 自由
欲しいのは音楽とかぎりない自由 紅いあじさいベランダに置く
3. 忘
大昔忘れてしまった約束も思い出せぬまま母になります
4. 指切り
うそつきはどろぼうのはじまりだって指切りすれば喉を刺す針
5. 神
神様の城のふもとに住んでいた怖いものなどなにもなかった
テーマ「冬休み」
99年親友の家でふたりきりときめきメモリアルでミレニアム
不器用に剥いたりんごを喜んで何度も何度も じいちゃん、ごめん
思慕ばかりふくらんでゆく冬休みもういくつ寝ればあなたに会える
…二度めにして今回は難航しました。
自由も、神様も、数年前までは頻繁に歌に詠んでいた言葉なのに、いざ作ろうとなると、まあ出ないこと出ないこと。
そのあたり、いろいろと思うところがあったので、次回、振り返りがてら書こうと思います。
あのころ作った歌、2008年前半
今月も「短歌の目」に参加させていただこう、と思うのだけど、まったくもって、するりとは出てこない。
かつては毎日のように作っていたのに。
たぶん、今よりも体の中に五七五七七のリズムが自然にあったのだと思う。
ということで、それを取り戻すべく、図書館で歌集を借りてきたり、昔作った歌を読み返したりしています。
前回に続き、2008年前半。
透明な残像に目を奪われて気づけば恋の掌のうえ
ひとひらの真綿ふわりと手のひらに跡形もなく季節の終り
水色の空に木の芽もふるふると誘われるなり無辺の未来
青空に揺れる桜と舞う鳥とあの人が笑う至上の春よ
終りなき旅を行くほど強くなくだから去るのだマイクを置いて
視線交わし光閃くきっとまたひとりよがりかも空が眩しい
明白で確信に満ちて揺るがない運命なるものひとつください
迷いなく湖面は凪いで水底の世界へ降りてゆくならば今
真夜中に悪魔が来たりて手の中のおにぎりを握りつぶせと歌う
夏の夜に蛙の声も鳴り止んで誰の名前を忘れてゆくの
この頃は歌を作ることが本当に楽しかった記憶がある。
恋をして、失恋して、いろいろと行き詰まり、それでも信州の風景は美しい、という日々。