希望とはこんなきみどりの
「植物大好き」…!!
と今週のお題に刮目したのは、植物が好きだからだ。あたりまえに好きなので、逆に何を書いたらいいかわからない。
私は植物が好きだ。灼熱の(五月にしてすでに灼熱の)狭いベランダで、多肉植物数十種類とミニバラ、モッコウバラ、あじさいなど育てている。見るのも好きだ。いつも植物を見ながら歩いている。空木の白い花が地面に散っている、お屋敷のバラが満開、駅のホームに面した壁の蔦がいつのまにか青青としている、ジャスミンの匂いがする、あ、これは見るではなく嗅ぐか。嗅ぐのも好き。
子供の頃はまったく興味がなかった。興味が出てきたのは、20代半ばを過ぎてからだ。
そのころ、両親が母の故郷に引っ越した。私は高校を卒業してから実家を出ていたのだけど、ちょうどいろいろあっていろいろ嫌になっていたので、じゃあ私も行く、と住み慣れた関東に背を向けて親元に転がり込んだ。拾ったばかりの子猫を連れて。
それは信州、山の中。
豊かな自然に囲まれた「田舎のばあちゃんち」のすぐそばに、私は住むことになった。
母も祖母も畑をやっていて、ときどき私も手伝った。草むしり、水やり、にんじんの種まき、間引き、トマトの芽かき、ブルーベリーの収穫。
畑の端に生えてくるアスパラガスを毎朝折って、会社の電子レンジでチンして食べた。二日も放っておくと伸びすぎてもう食べられないし、そのうち木のようになってしまう。そうか、アスパラってこんなふうに育つのか。
祖母や母と出かけると、いつも植物の名前を教えてくれた。あれはアケビ。あれは葛。これは山吹、これは立葵、いちばん上まで咲いたら梅雨明けだっていうよ、あれは空木、卯の花っていうだ、など。
知らないことばかりだった。子供の頃から毎年何度も来ていたし、夏休みなどひと月まるまる過ごしたりしていたけど、当時の私は本や漫画ばかり読んでいて、外のことなど何も見ていなかったのだ。
数年後、私はひとりで再び東京に出てきた。猫を連れて。桜、木蓮、山吹、あじさい、立葵。東京にも花は咲く。
それから、またいろいろあって、会社が傾いて仕事を辞めた、そのあたりから私は家に植物を増やしはじめた。
父が株分けしてくれた観葉植物。ホームセンターで見切り値で買ったミニバラ。そして親友が分けてくれた多肉植物。
ひどく鬱々としていた時期に、私を救ってくれたのはそういう植物だった。
同棲している彼氏と結婚や子供や仕事のことで揉めたり揉めることさえできなかったりで、いっそもう別れようか、などと思いつつ寝て、起きて仕事に行き、また寝て起きて、どこへも進めないまま同じ日を延々と繰り返していく。
そんなループするような日々の中で、植物だけが、昨日と今日が同じでないことを教えてくれた。
晴れた朝に水をやると、次の日には目に見えて大きくなっていたりする。なかなか根が出ずにすぐ倒れていたものが、少し引っ張ったくらいじゃ抜けなくなる。蕾が膨らんで、花が咲き、散る。
なかでも、毎日眺めていたのは黄麗という多肉植物の新芽だった。それは澄みきった黄緑色をしていた。日に日に大きくなっていく新芽をうっとりと眺め、こんなに美しい黄緑があるか、と思った。希望の光とはきっとこんな色をしているのだと思った。
あのころの私を支えていたのはあの黄緑色だったと、胸を張って言える。
私は夏が嫌いで、夏なんかなければいいのにとずっと思ってきた。緑がどんどん鬱蒼としてくるのも憎くてたまらなかった。
でも自分で植物を育てるようになり、夏は植物のためにあるのかも、と思えるようになった。それならば仕方ないと思う。諦めがつく。
夏は植物のためのもの。
そうやって自分の中で納得がいったのも束の間、去年引っ越してきた新居のベランダは、夏になると死ぬほど暑い。鉄で覆われ、庇は短く、南向き。熱い、というほうが正しい。
その過酷な環境に耐えられず、去年の夏はいくつもの植物が息絶えた。まさに死ぬほど熱いのである。
夏は植物に必要ではあるが、同時に試練でもあるのだった。
やっぱり、夏は嫌い。
今年はみんなで生き延びられるだろうか、どうやって乗り切ろうかと、今から戦々恐々としている。
これがそのときの黄緑
今週のお題「植物大好き」