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広島のこと

高校の修学旅行は広島と萩・津和野だった。
萩なんて高校生には渋すぎやしないか、という話はさておき、今回は広島の話です。


当時の私はコンプレックスの肥大した強烈な人見知りで、数少ない友達以外の人と接するのが苦痛だった。みんな私のことを暗くて地味で気持ち悪い大女と思ってると思っていた。朝から晩まで親しくない人たちと過ごさなくてはならないなんて、苦行そのものである。

そんな苦行の初日が広島だった。
厳島神社原爆ドーム、原爆記念館だったと思う。
厳島神社の赤い舞台を歩いたことはうっすら覚えている。平和記念公園の白く広い道を不安な気持ちで歩いたことも、うっすらと覚えている。
それなのに、原爆ドームと記念館の記憶がないのだ。平和記念公園まで行って、見ていないはずがないのに。

さらに酷い続きがある。
広島市内のホテルに泊まり、夕食と入浴の後、みんなで被爆した方のお話を聞いた。
本当に申し訳なくて恥ずかしいことなのだけど、私はその間、眠気を堪えるのに必死だった。
貴重なお話を聞かせていただいていることはわかっているのだ。真剣に聞かなくてはならない、眠るなんてありえない。それなのに眠くてたまらない。

言い訳をすると、私は高校生にしては夜更かしのできない子で、家でも23時には夢の中、友達の家に泊まりに行ってもさっさと寝落ちするタイプだった。
それが日中の苦行に耐えた後で、しかも満腹で風呂も済んでいるとなれば、脳がどれだけ足掻いても身体は完全に寝るモードだったのだ。  

落ち込んだ。本当に失礼なことだ。授業中にも居眠りなんてしたことないのに。激しく自己嫌悪しながらレポートを書いて出した。


少なくとも私は、原爆について知る心構えができていなかったのだと思う。
知るのが怖かったし、知りたくないとさえ、思っていた気がする。あの日、記念公園の真っ白な道を歩きながら。


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金曜日、休みだったのでオバマ大統領の広島訪問の様子をリアルタイムで視聴していた。
ニュースではあまり取り上げられていないけど、私がいちばんぐっときたのは、後半のこの部分だ。

我々はひとつの人類なのである、という話のあと、こう続く。

That is why we come to Hiroshima. So that we might think of people we love. The first smile from our children in the morning. The gentle touch from a spouse over the kitchen table. The comforting embrace of a parent. We can think of those things and know that those same precious moments took place here, 71 years ago. 

引用こちらから

この場所で我々は愛する人たちのことを思う、
子供たちの朝いちばんの笑顔、
テーブル越しに触れる配偶者の優しい手、
親に抱きしめられる心地よさ、
それらを思うとき、それと同じ尊い瞬間が、71年前のこの場所にも存在していたことを知るのだ、
というような話。


子供たちの一文の後、一瞬オバマ大統領は口ごもった。原稿を作ったのが誰であれ、そのとき彼は、想像したのだと思う。自分の家族と、それが失われることを。

高校生の私は想像することができなかった。
原爆も戦争も物語の中のことだった。

戦争とは、そういうことなんだろう。
ちゃんと自分に引き寄せて考えられるかどうか。自分の家族や友達や故郷が脅かされることをリアルに想像できるか。
そんな惨禍を自分事と思えない人間が戦争を起こすのだろう。


と思った、金曜日。