便利と不便

Suicaを家に忘れてきた。

駅で切符を買わねばならない。券売機の前に立ち、あ、値段わからない、と路線図を見上げたが、焦っているので現在地が見つからない。いったん視線を引いてみたら、現在地、とちゃんと矢印が出ていた。路線図だとそんなところにあるのか、この街。後ろに人がいなくてよかった。

他社線に乗り換えるために、次の駅でまた切符を買わねばならない。
乗り換え時間にあまり余裕がないので、路線図で探してる場合ではない、と電車の中で料金検索をする。小銭がちょうどぴったりあった。ポケットに用意しておく。 

駅に着くと急いで券売機に向かい、ささっと購入。改札は10列以上あって、その中でいつも使っているあたりの列を抜けようとしたら、その一帯はずらりとIC専用だった。切符の通れる改札を探すと、券売機のすぐそばにあった。そっち側の改札は出口専用だと思っていた。考えてみれば合理的な配列だ。


とはいえ不便。不便!


不便、と感じるのは、もちろん私が便利さに慣れてしまっているからだ。
20年前は路線図を見て切符を買うのも、乗り換えで切符を買い直すのも当たり前だった。面倒なんて思ったこともなかった。
でも、それだけでなく、世の中は確実に、「それを持ってないと、不便」な方向に動いてるのだと思う。

職場の最寄り駅は、エスカレーターもない古い駅なのだけど、去年、3つある改札のうちのひとつをIC専用に取り替える工事があった。
そのときはふーんと思うのみだったけど、切符を使う立場になってみて、なんでわざわざ替えたんだろう、と思う。どっちも使えるままでよかったのに。コスト的な問題なのか。

公衆電話がめっきり少なくなったり、ETC専用レーンが増えたり、お店のポイントがアプリでしか貯められなくなったり。

それを持っているから便利、だから持つといいよ
というところから、
だいたいの人が持ってるから、もう持ってる人が基準でいいよね?
になって、
それを持っていないと不便、持ってない人は不便だけどしょうがないですね
となり、然るべきものを備えている人のための便利さが追求されていくのだと思う。

いろんなものがどんどん便利になった世界は、そこに乗っからない人や、うっかり滑り落ちた人には、ぜんぜんやさしくない。


路線図を見上げて切符を買い、乗り換えでまた切符を買い、を20年前は当たり前にやっていた。
それをしなくて浮いた分の時間はどこへ消えたのだろう、と思ったら、狐につままれたような気持ちになった。