ZABADAKにまつわる記憶

10年前の冬、大学の後輩が亡くなった。
いつもにこにこしている、猫と音楽が大好きな人だった。
彼の音楽の守備範囲は広く、私が名前も知らないような海外の人も多かったけど、邦楽になると意外と趣味が似ていた。
それほど親しいわけではなかったのに、なぜか卒業後に、他の後輩と三人で小島麻由美の学園祭ライブを観にいったことがある。
風船と紙コップ、改札で手を振る笑顔。
それが最後に見た彼の姿だった。

いつか飲み会で彼とZABADAKの話をした。
その人もZABADAKが好きだったのだ。
別の人の、あの声がちょっと苦手、という意見に遮られてあまり深くは話せなかったが、私は、うれしかった。
マニアックなほどの音楽好きで一目置かれるその人と、同じ音楽を聴いていることが。


初めて聴いたのは中学の時、友達の家でだった。
一曲めの「満ち潮の夜」を聴いた瞬間に、なんだこれ、と衝撃を受けた。今まで聴いたことのある、どんな音楽とも似ていない。
こんな音楽が、あるのか。

それから自分で買ったり、レンタル店で借りたり(いま思うと、あんな田舎町によく置いてあったなあという気がする)して、少しずつ手元に揃えていった。

大学の頃か、卒業後か、一度ライブにも行ったことがある。
開演前の会場前で、幾人かがリコーダーを吹いていて、なにごと、と思ったらライブ中に自由参加でリコーダーを吹く企画があった。
あったと思う。
その頃の記憶が全体的に曖昧で残念。



後輩の葬儀のあと、頭の中で、ずっと「光降る朝」が流れていた。
口ずさんでみる。

人恋しくなる長い夜を
これから誰と二人で生きても
瞳の先に光を見つめていこう


猫と音楽でいっぱいの、光の庭に彼は行ったのだと思った。
やさしい光に満ちた、とてもとても美しい庭。
そして私は彼の生きられなかった未来にいるのだと。


光降る朝

光降る朝



吉良さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
すばらしい音楽を、思い出を、ありがとう。