東風解凍(春のよろこび)

東風解凍、はるかぜこおりをとく、春風が氷を融かしはじめる頃。まさに立春、というストレートさ。新年という感じで気持ちがいい。

 

先日の大雪はほとんど解け、日陰にわずかに残るのみとなった。晴れてきらきらと雪が解けていくのを見ていると、春だ、と思う。まだ2月の頭なのに、まだこれから雪も降るかもしれないのに、明るい雪解けの風景の中を歩きながら、このまま春になるのだと錯覚しそうになる。いや、暦の上では春なので決して間違ってはいないのだけど。

 

こんなにも雪解けに春を感じてしまうのは、おそらく雪国に住んで最初の春の体験が影響している。

信州に住み始めた年の冬は雪が多かった。始めて雪国で過ごす冬、という補正も入っているのかもしれないが、そこで生まれ育って今も住んでいる母が、あの年は雪が多かったと言うくらいだからやはり多かったのだと思う。

その年は親が別の場所で宿業を始めていたため、一軒家で弟と二人暮らしをしていた。朝起きて、車にたどり着くために雪かき、車を掘り出してエンジンをかけ、車の前の雪をかいてから出勤。帰宅して車を駐めて、また玄関までの雪をかいて家に入る、という生活。大雪で停電したり断水したりもした。とにかく雪の中にいた。真っ白な景色の中にいた。

そんな3月半ばのある日、ドライブ帰りに隣の村を走っていると、粉雪がちらつく中にふっと光が差して、あ、と思う。同じ光のようでいて、確実に何かが違った。それは春の光だった。

春が来るのだ。

それから休日のたびに春を求めて車を走らせた。家の周りはまだまだ冬だけど、1時間も走れば辺りは春だった。地面が現れ、梅が咲き始める。桜が咲き始める。風景が淡い光の色になる。

世界が生まれ変わるような感覚だった。

あんなに鮮烈に春がうれしかったのはその年だけだったけど、あの感覚は今も身体に残っている。だから今も、雪が解けて地面が見えてくると、うわあ春、と思ってしまうのだと思う。

それだけでなく、実際に光が春の光なのかもしれないけど、冬でも晴天続きの関東平野に住んでると、そのあたりの感覚は鈍くなっている感じだ。いや、もしかしたら私が春と思ったのも、私の目が春の光を察知したのかもしれない。だとしたらうれしい。

 

立つ春に鈍色の雲ざわざわと逃がした鬼をおうちへ帰す

 

 
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 (これは先週の様子)

 

 

新装版 ムーミン谷の冬 (講談社文庫)

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↑最後のシーンを読むたび春の喜びを思い出してぞくぞくします