葭始生(イネ科の切り傷)

もう遅れすぎて自分でもよくわからなくなっていますが、一応順番通りに追っていきます。もう3日ほど前に終わっていますが、二十四節気穀雨の初候、葭始生、あしはじめてしょうず。葦が生えはじめる頃。前回の虹始見に続いて、はじまるシリーズですね。

葦は「あし」であり「よし」、もともと「あし」だったのが、奈良時代あたりから、響きが「悪し」と同じで縁起が悪いというので「よし」と呼ばれるようになった(けど結局「あし」の呼び方も残っている)ということらしい。 

川の下流域や干潟の岸辺に生える、イネ科の細長い草。ネットで画像を見たけど、イネ科の植物は私にはどれも同じに見えて、それらしい草を見ても、これがそうか…? それともイネ科の別のもの…? とまったく確証がもてない。よしずに使用したりするから茎が硬くまっすぐで丈夫そうなやつ、とするとやはりこれが葦なのか? と首を傾げながらさっきも散歩してきたところ。

 

イネ科の植物には苦手意識がある。あの葉だ。細長く尖ったあの葉に触れて、何度手足を切ったことか。

というかあれは一体なんなのだ、と調べると、その疑問にぴったり答えてくれるサイトを見つけた。

イネの葉のぎざぎざはどうしてあるのですが | みんなのひろば | 日本植物生理学会

つまり、葉の縁がぎざぎざであること、そして細胞壁(つまり外側)にケイ素(ガラスの主成分)が含まれていて硬いこと、があの痛さの原因らしい。これは稲でも葦でもススキでも同じ。言われてみれば、ガラスの欠片に触れてしまった時と似た切れ方だったような気がする。

気がする、というのはもう30年くらい切られていないからだ。あいつらは触ると危険、というのが体に刷り込まれているので極力触らない、少なくとも手を滑らすような触り方はしない。

しかし子供は触る。

歩きはじめた子供は、気になったものはなんでも触る。落ち葉、砂利、金網、ロープ、マンホールの蓋、グレーチングの蓋(大好き)、落ちているゴミ、そして道端の草。少し前までは平和な草しか生えていなかったのに、このところイネ科が伸びてきて、あの細長い葉がみょんみょんと風に揺れていると気になるようですぐ手を伸ばす。ああーその葉っぱは危険…! と思いながらも、いやでも毒があるわけでもなし、子の好奇心に蓋をするようなことはなるべくしたくない、とはらはら見守る。早く別の葉に移ってほしいが、あの独特のちくちくざらざら感も不思議なのか、なかなか動かない。言葉はまだ理解していなくても、その葉っぱは痛いよ、と声をかけてみる。伝われ伝われと思う。

 

子供の頃はしょっちゅうあの葉で切り傷をつくっていた。痛くて嫌なのだけど、かといって避けることはなく、ススキの草むらで平気で遊び、また足や腕を切る。痛い。お風呂に入るとしみる。でも避けたりはしない。

それがいつからあの葉っぱを避けるようになったんだろう。もう草むらで遊ぶ必要がなくなったからなのか。遊ぶ楽しさと痛みとを秤にかけて、遊ぶ、が圧倒的に重かったあの頃。いつのまにそれが逆転し、危険、とまで思うようになってしまった。危機回避能力といってしまえばそれまでなのだけど、なんだかさみしい。子供は強いな。

 

いくつもの切り傷も痣ももきらめきも跡形もなく生きてるからだ

 

 
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