霜止出苗(田んぼの話)

霜止出苗、しもやんでなえいづる。霜が降りなくなり、稲の苗が生長する頃。例によってもう終わっています、昨日、もとい日付的には一昨日、まで。

 

4月半ばに一週間ほど子供とふたりで実家に帰省した。うちは農家ではないのだが、自分たちで食べるだけの米は作っていて(少し前まで多少は出荷もしていたというのは最近知った)機械を動かしたりする大きな作業は伯父の仕事なのだが、苗床のあるビニールハウスの温度管理は母の担当のようで、朝にハウス側面の通気窓を開けて日中の過熱を防ぎ、夕方には閉める、というのを毎日やっていた。私が着いた日の朝は開け忘れたらしく、認知症の祖母に怒られていた。100歳近い祖母の認知症は年々進行して、朝の出来事を昼には忘れていることもざらだが、母を叱る祖母の口調は完全に往時のままだった。何十年も、この時期になると毎日毎日繰り返していた、祖母にとってそれだけ大事で当たり前の作業なのだろう、自分の歳や過去の大手術や私が子供を産んだことを忘れても、それより深く脳に刻まれているもの。

 

祖母のいる信州に移住する前、高校までは家族で千葉に住んでいたが、田植えや稲刈りの時期になると母と電車で手伝いに行ったりしていた。とはいえ、稲刈りの際は刈り取った稲を稲架に掛けるなど子供でもできることがあったが、田植えではあまりやることがない。遊び程度に手植えしてみたり、田植え機を押させてもらったりするくらい。田植え機をまっすぐに押してぬかるみの中を歩くのは予想以上に難しくて、私の植えたところはうねうねになっていた。

信州に住んでいた三年間もあまり田んぼ仕事には関わってこなかったので(その頃には田んぼの枚数も減らして余計な人手は要らなくなったのだ)、未だに私の知っている稲作手順は「すじまき」「代かき」「田植え」「稲刈り」「稲こき」のみで、それさえもぼんやりしている。すじまきの後に毎日ハウスの温度管理をしていることも今回の帰省で初めて知った。いつも米を送ってもらっているくせに、この知識の乏しさ。

 

私が知っていると胸を張って言えるのは、田植え前後の田んぼの美しさくらいだ。この時期の水を張った田んぼは、晴れた日には空を、夜には月を映して本当にきれい。桜が散って木々が新緑に染まる、それ以降はもう緑はどんどん濃くなるし気温はめきめき上がるしで私には憂鬱でしかないのだけど、そんな中での数少ない喜びが、この田んぼである。個人的には桜に匹敵するくらい好き。大好き。

今まではただ愛でるだけだったけど、今回改めて稲作手順について調べて、米づくりには八十八の手間がある、というのを思い出したので、これからは農家さんに感謝しつつ愛でようと思う。お米と美しい風景をありがとうございます。

 

痩せた手は力なくとも脈々と息づくものよ田に落ちる月


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私のグーグルフォトを遡るとこれ系の写真が何枚も出てくるが、いま住んでいるところは畑作中心の場所で田んぼがほとんどなく、ここ何年か撮れていない。寂しい。