梅子黄(ふれてふわりと)

梅子黄、うめのみきばむ。梅の実が黄色く熟す頃。

春に花が咲いた時は意識するけど、花が散って葉が生い茂ってしまうと、その木が梅の木だということを忘れがち。逆に枇杷や花梨は、実が大きくなって色づいてきて初めて、これは枇杷の木だったのか、と気づく。春に見たあの梅の木の実も、今、この雨の中で色づいているのだろうか。

 

子供の頃から母の作った梅干しが大好きで、今も、食べきる前に送ってもらい、常に在庫を切らさないようにしている。食べづわりの酷かった妊娠中はミニ牛丼+梅干しばかり食べていたし、産後しばらくはお昼に納豆卵かけごはん+梅干しばかり食べていた。最近ちょっと消費が減ったけど、鯖や鰯の缶詰、あるいはかつ丼や天丼、あるいはスーパーの炒飯(だいたい油多め)を食べる時はどうしても梅干しを付けてしまう。ないと物足りない。

そういう具合なので自分でも作りたいと何年も思い続けているのだが、梅嫌いの夫が障壁となっている。しば漬け、ゆかり、スッパムーチョ(梅)、すべて食べない。梅酒は少しなら飲める。

梅「干し」というからには梅の実を干すというプロセスが必須であり(カリカリ梅なら干さなくていいけどあれはカリカリ梅であって梅干しではない)、干している間は、その空間が梅の匂いになる。おわー、と声が出るくらい梅の匂いになる(よく実家で声が出ていた)。その匂いさえ私にはたまらないが、梅の匂いも嫌いな夫にはおそらくかなりの責め苦のはずである。この狭い家ではどこに置いても匂いから逃れられない。

なので、居間でも寝室でもない部屋のある広い家に引っ越すまでは待とうと思っている。思いながら何年も経つ。

 

ネットで調べれば梅干し作りの方法などいくらでも出てくるが、私が好きなのは母の梅干しなので、そのレシピは母から教わるしかない。カリカリ梅を見事にカリカリに作る技を持っていた祖母の痴呆が進み、もうあのカリカリが再現できない(母のカリカリ梅はいまいちカリカリしきらない)ことを思うと、母の梅干し作りの技も早く盗んでおかなくてはと、少し焦る気持ちも出てきた。

さらに先日、子のごはんに梅入りゆかりふりかけを少量混ぜてみたら、ぱっと顔を輝かせ「なにこれ! そっちの茶碗(私の分)のも食べる!」みたいな反応だったので、ますます自分で作りたい気持ちが募る。

母の梅干し。甘くなく、しょっぱすぎず、ふかふかに乾いてシンプルに酸っぱい、あの梅干し。書いていて唾液分泌が止まらない。

ところが昨日電話で話したところ、今年はいつもの梅干しを八割くらいにして、テレビか何かで見た砂糖やお酢を入れたものも作ってみる、おいしくできたらあげるね、とのこと。いや、いいんだよ甘みは。いつものでいい、いつものが好きなの。

そういえば前にもテレビか何かで見た別のやり方で作っていた年があった。その時は確か、いまいちだった、と言っていた。

まあ毎年毎年何十年も作ってるから、同じだと飽きるのかもしれない。むしろ、いくつになっても探究心を失わない母がすてきに思えてきた。

私が広い家を手に入れるまで、そして母の梅干しを再現できるようになるまで、健康で作り続けてほしいと心から思う。できればその先もずっと、だけど。

 

梅の実にふれてふわりと吹く風が眠れる猫のひげをすぼめる

  
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