菊花開(死よりも長く)
菊花開、きくのはなひらく。菊の花が咲く頃。
すみません、再開しますと言いながらまたずいぶん休んでしまいました。
飛ばしたのは四つ。
雷乃収声、かみなりすなわちこえをおさむ。雷が鳴らなくなる頃。
蟄虫坏戸、むしかくれてとをふさぐ。虫が地面に掘った穴をふさぐ頃。
水始涸、みずはじめてかる。田んぼの水を干しはじめる頃。
鴻雁来、こうがんきたる。雁が飛来してくる頃。
こう並べると、見覚えのあるようなものばかり、という気がしてくる。「水始涸」以外の三つは、春に出てきたものの逆バージョンだ。三月の初めに虫たちは戸を開いて現れ、月末から四月にかけて雷が鳴りはじめ、その後に雁が去っていった。前回の記事に書いた「玄鳥去」も四月初めの「玄鳥至」と対になっていた。春だよ、とやって来たものたちがいっせいに姿を消していく(雁は逆だけど)。半年経ってしまった、年末に向けて風呂敷を畳んでいく感じがすごい。
さて、菊の花が開く頃。
旧暦九月九日(今くらい)は重陽の節句。菊の咲く時期なので別名を菊の節句といい、菊の花を飾ったり、菊酒を飲んだりして祝う、とのこと。
菊酒は邪気を払い長寿を願うためのもの。中国から日本へ渡ってきたとき、菊は不老長寿にまつわる花だった。縁起がいい。
だが、病人へのお見舞いに菊の花はタブーだ。なぜか。葬式を連想させるからだ。
長寿の象徴であった菊が葬式で使われるようになったのは、いろいろ読んでいるとどうやら西洋由来のよう。本当に? と思って英語サイトをあたってみたらどうやら本当にフランスやベルギー、イタリアやスペインあたりでは菊は死を象徴し、基本的に葬式にしか使われないらしい。が、そもそも菊は18世紀末から19世紀にかけて中国や日本から西洋に渡ったらしいのに、どの時点で長寿から死へとイメージが転換されてしまっのたのかが謎だし、どうしてそんな逆輸入みたいな形で葬儀に菊を使うようになったのか。
そこでふと、今のような葬儀スタイルはいつ頃からのものなのだろう、と思って調べた。
かつては野辺送りなどの葬列で死者を送るのが一般的だった。それが、大正時代あたりから交通の妨げになるとして廃止され、代わりに行われるようになったのが、告別式。大きな祭壇を組んで花を飾るスタイルはこのへんから登場したらしい。
野辺送りではさほど花は重要ではなかったようなので、おそらくここで祭壇の花として菊が使われるようになったのでは、と思ったのだけど、なぜ菊なのか、霊柩車はアメリカから輸入していたらしいのでアメリカ由来かと思ったらアメリカでは菊よりバラなどの方が使われるという。うーん。
さらに調べるうち、「戦後、一年じゅう安定して菊の栽培ができる技術が確立されたため、時期を問わず花を大量に使う告別式には菊が都合がよかった」という身も蓋もない説を発見。菊、いいんじゃない? ヨーロッパでも菊が使われるらしいし、というなんとなくの流れで広まり、やがて菊といえば葬式というイメージになってしまった、ということか。
そんな作為的で商業的な事情のために、長生きしてほしい人に菊を贈ることができなくなったなんて、なんだかなあ、である。
普通に菊の思い出話をしようと思っていたのに、調べているうちに面白くなって長くなってしまった。しかも最終的になんだかなあだし。
でも面白かったからいいや。私は面白かったです。
菊はあまり好きではなかったけど、10年ほど前、実家の近所に菊をとてもきれいに咲かせる人がいて、母と見にいって以来、印象が変わった。白、赤、ピンク、黄色、大きさも咲き方もさまざまの、たくさんの菊。
今年ももうすぐ咲くだろう。
純白の菊の花びら陽をあびて死よりも長く生きるを望む