青春のまんなかでしか見えない光

特別お題「青春の一冊」 with P+D MAGAZINE
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せいしゅんの一冊。


青春がなんであるかまだ知らない、小学生のころ、幼なじみのお姉さんに借りて、初めて文庫本を手にした。
少女小説、というジャンルが当時はあった。今ならラノベに括られるのか、それとも今でもそういうジャンルは生き残っているのだろうか。少女を対象とした、少女漫画的な小説。一文は短く、余白は多く、可愛い挿し絵、内容はもちろんラブストーリー、が当時のスタンダードであった。
たぶん借りたのは折原みとの本だったと思う。本も漫画も好きだった私は、こんな世界があったか、と、はまった。

主に読んでいたのは、講談社のティーンズハートという、当時流行っていた(と思う)シリーズだった。だいたい、一冊390円。月500円のお小遣いで、月に一冊買っても100円のおつりが来た。毎月買った。お年玉もちびちび遣うタイプだったので、とにかく本ばかり買っていた。
10代前半は、人生でいちばん文庫本を買っていた時期だった。そのために、いまだに文庫本を買うときは、ずいぶん高くなったわね…と思ってしまう。20年も経てばそろそろ更新されてもいいのに、当時の金銭感覚が根強く残っている。余談です。


そんな中で出会ったのが、津原やすみあたしのエイリアン」シリーズだった。
何人もの作家さんの少女小説を読んできたが、この人の文章は、異質だった。
一文の短さ、余白の多さ、というフォーマットにはある程度沿っているのに、なにかが決定的に違う。それがなんなのか、当時の私にはわからなかった(他の人のよりは文字が多くて読みごたえがあるな、くらい)が、とにかく、面白かった。ストーリーも、キャラクターも、そしてなにより、語り口が。
地の文でも会話でも、ちょっとした言い回しがいちいち洒脱で、覚えるほど繰り返し読んだ。恋、喧嘩、キス、受験、浪人、ユトリロロートレック、私の知らない世界がこの先に広がっている。本とはまさに、世界への窓であるのだと知った。
中学二年頃からはファンタジー小説にのめり込んでいくのだが、その人の作品だけはずっと買いつづけた。高校生になっても、買いつづけ、読みつづけた。


そして高校二年の冬、『ささやきは魔法』を読む。

主人公は、かわいくて性格にやや難のある(と当時の私は思った)女子高校生。友達は少ない。一本の間違い電話から物語が始まっていく、と、こう書いてしまうとありがちなようだが、でも決してただの女子高生のラブストーリーではない。そもそもラブストーリーでさえない気もする。

物語の終盤で、主人公が、犬になろうとするシーンがある。街のなかで、地面に手をついて、這って歩いてみる。地面は近く、街の光はどこまでも眩しく、光のなかにいる、光のなかを歩いている、と思う。
今、本が手元にないので(実家の屋根裏か車庫かどこかで行方不明)少し自信がない。光のなかを歩いていると感じたのは、主人公ではなく、私だったのかもしれない。少なくとも私は、そのシーンを読んでいる私は、彼女になってその場所にいた。
アスファルトの感触。目に飛び込んでくる光。眩しかった。世界はこんなにも眩しく、美しいのだと思った。
無辺の未来。
彼女の目の前に開けているそれは、17歳の私の目の前にも、たしかに開かれているのだった。


その約一年後、教育実習生に恋をした私は、お別れをしたあと、地学室に続く廊下で同じ光を見る。ああ、この光は知ってる、と思う。あの日私が物語のなかで見た光。
私の未来は輝くにちがいないと思った。それはもう、確信だった。
現実はそれほどすんなりとはいかず、のちに大学に入った私は夢も志もないぐにゃぐにゃの生活を送るのだけど、それは別の話。


数年後、読み返してみた。
件のシーンが近づくにつれ、ちょっとドキドキしていたのだが、私の目の前に現れたのは、その前から続く、地続きの文章だけだった。あのとき感じたアスファルトの感触も、溢れんばかりの光も、もう私を圧倒することはなくて、想像力というフィルター越しに思い描けるだけだった。
しばらく、茫然とした。
17歳というあの時に出会ったからこそできた、奇跡的な読書体験だったのだと、わかった。


という、私の青春の一冊、津原やすみ『ささやきは魔法』

ささやきは魔法 (講談社X文庫―ティーンズハート)

ささやきは魔法 (講談社X文庫―ティーンズハート)


部活の引退、失恋、受験、一人暮らし、という高校三年からのあれこれを、圧倒的な希望を胸に乗り越えてこられたのは、この本のおかげだったと思う。
だって私は見たのだ。眩しい世界を。
この先にひろがる無辺の未来を。


ちなみに、この作品のあとがきで、津原やすみは自らを男性であると明かした。驚きはしたが、なるほど、とすんなり腑に落ちた。
読み終えて、私は初めて、ファンレターを書いた。こんなに心が揺さぶられたこと、物語のなかに連れていかれたことを、伝えたくて仕方なかった。これが最後の作品になる予感もしていたのだと思う。実際に少女小説としては最後になったから、その予感は当たっていたのだが。
思いの丈を力いっぱい書いた、書いた覚えはあるのだが、投函したかどうかは記憶がない。