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ちゃぶ台越しの小さな足

お題「一番古い記憶」

 
マイお題なんてものがあるのね、と眺めていて目に留まったのがこちら。
勝手に書いてしまっていいのかしら、発案者さんにひとことお声がけしたほうがいいのかしら、と不安になりつつ勝手に書かせていただきます。


幼い頃の記憶というのは、子供の頃の写真を見たり、誰かからその頃の話を聞いたりして知っているだけで、実は後付けの記憶なのかも、と自分自身で曖昧なことが多い。
でも、これに関しては自信がある。
なぜなら、その時の自分の感情を覚えているから。


私の一番古い記憶は、弟が餅を背負った日、だ。


私には年子の弟がいる。
その日、家には親戚一同が集まっていた。
みんな弟のほうを見てにこにこしている。弟はみんなの中心にいて、大きな餅を包んだ風呂敷を背負わされている。どうやらこれを背負って歩けということらしい。
なかなか歩けず、さんざんぐずぐずした後、ようやく一歩、二歩と足を前に出す。
みんな大喜びだ。

私だってそのくらいできるのに。
私だったらもっと上手に歩けるのに。
私もやりたい。やって、ほめられたい。
なんで私にやらせてくれないの。
 
なんで、って正解は私も前年に同じことを済ませているからなんだけど、そっちの記憶はまったくないので、ただ、悔しかった。
悔しさと嫉妬の混ざった歯がゆい気持ちで、ちゃぶ台の向こうの弟を見ていた。
それが私の最初の記憶だ。


大人になって調べたら、それは1歳の誕生日に行う一升餅という慣習らしい。
ということは、私はおよそ2歳半。

うちは親がまめに写真を撮っていて、きちんとアルバムにまとめていたのだけど、写真を見ても当時の感情まで思い出せるものは他にない。
そんなに悔しかったんだろうか。


思い返せば、子供の頃の私は悔しがりだった。
怒られて泣くのは、いつも、悔しいからだった。
うまく気持ちが伝えられないことが。

うまく伝えられないのは、自分で自分の感情がよくわからないからだ。
中学生の頃に、ノートに感情を書きつけるようになってから、そう気づいた。
自分がどう思ったのか、どう思うのか、文字にしていくことで、私はようやく自分を知ることができたのだった。
それからは悔しくて泣くことは減ったと思う。


話がそれてしまった。


次の記憶はおそらく、幼稚園に入った最初の日だ。
ロッカーで隣同士になった子のお母さんと母が挨拶しているところ。

幼稚園から先は断片的な記憶が増えていくけど、2歳、3歳の記憶はひとつだけ。

それ以外の、記憶にない無数の出来事は、それでも私の脳のどこかにいたりするのだろうか。
いつか思い出すことがあるのだろうか。
なにかのきっかけで、ぽん、と思い出せたら面白いのにな。

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まっしろな指先で畳をなぞる くやしいことが生きてる証