麦秋至(秋はまだか)
麦秋至、むぎのときいたる。麦が実り、収穫される頃。麦秋というやつですね。
麦が芽吹くという候があったけどいつだったろう、と振り返ってみると、年が明けて最初の候が、雪下出麦、ゆきわたりてむぎいずる、であった。5ヶ月前だ。
ということは七十二候について書きはじめてぼちぼち半年になるらしい。遅れ遅れになったり、内容もすかすかだったりしたけど、よくがんばったと思う。たまには褒める。
先日、子供と散歩中に少し遠出し、普段あまり通らない場所を歩いていたら、道の向こうに小麦畑が見えた。緑が鬱蒼と茂ってそこらじゅうを埋め尽くさんとする(主観です)この時期に、秋のような金色の穂がわさわさと揺れているのは、不思議な風景だった。その一角だけ季節が違うようだった。
写真、と思いながら近づこうとしたら、腕の中で子が寝た。いま思うと、寝た子を抱えたままあと少しがんばって近くまで行けばよかったのに、その時は早く帰って布団に下ろすことで頭がいっぱいで、その場で踵を返し帰路についた。早く下ろさないと自分が休めない。子の昼寝時間は貴重な貴重な休息時間なのだから。
何度か書いているが私は夏が本当に苦手だ。植物や農作物のためと思って耐えているが、それさえなければ夏など消滅してしまえと思っている。暑くなってくると毎年、もうロシアに移住してやると思う(しない)。
なので最近は散歩がつらい。子の体力を削るためにがんばって外に出ているが、冬や早春のように遠くまで歩く気分にはなかなかなれない。手軽なリフレッシュ方法であった散歩がリフレッシュどころか苦行になっている。これはものすごく深刻な事態だ。
丸一日、子供と二人で過ごす。それを毎日、年中無休で。夫は土日休みだが、それはあくまで夫の休みであり、私の休みではないらしい。子の寝ている時間から家事の時間と自分の睡眠時間を引いた残りが私の自由時間で、それは、とても少ない。特に夜など、家事を片付けると疲れて何もやる気がしない。寝たい。横になりたい。今も布団の中でブログを書いている。
そんな生活の中で、散歩こそが、子が起きている間に堂々とできるリフレッシュの手段だったのだ。子のためであると同時に自分のためでもある時間。すばらしい。すばらしかった。
それが暑さによって苦行となってしまった今、切実に、どうやって気分を晴らせばいいのかわからない。暑さで私自身の体力も相当削られるため、散歩から帰って子が昼寝する間に何かをする気力もない。以前は本など読んでいたのだが、もう読んでもすぐ寝てしまう。
夏が終わるまでの辛抱なのか。でも去年なんか11月に入っても暑かった気がする。あと半年も暑いのか。無理だ。
早くなんとかして心が元気になる方法を見つけたい。
炎天下ささめく麦よ金の穂よ私を秋へ連れ出してくれ
そんなわけで麦の写真はありません