口内宇宙戦争

4月から歯医者に通っている。

歯医者で苦手なのは、音でも麻酔でも吸引でもなく、大きく口を開けつづけなくてはいけないことだ。
顎関節症の気があるので。
開けすぎたら戻らなくなってしまいそうで怖いので、がくん、といかない程度に口を開ける。これが結構しんどい。

あと、目をつぶっていると、すぐにうとうとしてしまうので、寝ないようにするのが大変。
口の中で何が行われていようが、どんな音がしていようが、目を閉じれば暗く、暗ければ眠くなる。
眠くなると口も閉じてしまう。それはいけない。


とはいえ歯医者はそんなに嫌いではない。
昔は人並みに嫌いだった。あの高音も、唾液の吸引のあの感じも、いやだった。


あるとき、これは口内で宇宙戦争が繰り広げられているのだ、と思うようにした。
目を閉じて想像する。銀河。荒れ果てた星の大地。宇宙船にレーザー銃。
想像しているうちに眠くなった。
口開けてください、と怒られた。

そのころは時間があったので、頻繁に通い、ついに私の虫歯は根絶された。

さんざん、口開けて、と怒られてきた先生に、これで終わりです、と言われたとき、え、本当に? と思った。もう虫歯ないんですか? と確認した。ありません。

初めてだった。
子供のころから、痛い歯だけ治したらもう行かない、痛くなるまで行かない、という通院の仕方をしてきたので、口の中に虫歯がない状態は、物心ついてから初めてなのだった。

このときの達成感たるや!!

よくよく考えたら、ただ通って宇宙戦争の夢を見ながら口を開けて(たまに閉じて)いただけなのだが、私はやった、やってやった、と喜びに満ちあふれていた。
私の口内にもう虫歯は一本もない。


歯医者が苦痛でなくなったのは、ここからだと思う。
終わりがあるのだ。
終わりにはこんな達成感が。


いつも途中で歯医者をさぼってしまう、私の夫のような人に、声を大にして言いたい。
ぜひ一度、最後まで通いつづけてみてほしい。
自分がひとつレベルアップした気持ちになるから。


それから十数年経って、私の口内はふたたび虫歯の巣窟となった。
今、二本めを治療中。
今回も最後まで通いたい気持ちもあるけど、途中で飽きてしまいそうでもある。
もう、あのときのような感動的な達成感は味わえない気がするし。



気づかないこと

シャワーを浴びていて、鼻にお湯が入ることがよくある。
正確に言えば、よくあった、だ。
上を向いているわけでもないのに、なんでなんだろ、とずっと思っていた。

あるとき、彼氏(現在の夫)が言った。
まちかは、鼻が上向いてるよね。


!!!!!!!!


そうだったのか。
私の鼻は、上を向いていたのか。
知らなかった。
30年間、この顔が当たり前だったし、そういえば顔のパーツを他人と比べたことなんてなかったから、ぜんぜん気づかなかった。
そうだったのか。
だから、お湯が入るのか……!!!

目から鱗だ。
長年の謎が解けた。

なんで今まで誰も指摘してくれなかったのか、と思ったけど、そんなこと普通言わないか。
むしろよく言ったなと思う。


それからことさらに気をつけるようになったので、最近はお湯が鼻に入ることはない。
でも、顔にシャワーを当てていると(これお肌にはあまり良くないとも聞きますね)、言われたときの衝撃を今もたまに思い出す。
思い出したので今日書いています。


20歳頃から20代半ばくらいまで、なぜか自画像を描くのにはまっていた時期がある。
気分が沈んでいるとき、ただなんとなく絵を描きたいとき、鏡を見ながら、なるべく正確に。
そんなわけだから、鼻もさんざん描いた。
それでも気づかなかった。
一度でも他の人の顔を描いてみたら、もっと早く気づけたのだろうか。
気づいたからって、シャワーを浴びるときに気をつけるくらいしか、できることはないけど。


人と比べてばかりいるのもばからしいけど、人と比べることでしかわからないこともある。
たぶん、それを個性と呼ぶ。


ピクニックの歌

マナーとはなんぞや。
考えてみた。


マナーが悪いというのは、たとえば降りたい人がいるのにスマホに夢中で微動だにしない人。混んでいるのに足を組んで爪先を前に突き出している人。じろじろ見てくる人。
そういうのを見ると、ふん、と思う。
人に迷惑をかけたり、不快な思いをさせているのに、その自覚がない人、それに気づこうともしない人。

逆に、マナーが良いというのは、そういうことをしないこと。
何か行動するのではなく、しないこと、ではなかろうか。
マナーが良いとは、積極的な働きかけではなく、消極的な、状態を指すもの。
席を譲るのはマナーというより善意で、注意するのは正義感だ。


でも迷惑とか不快なんていうのは、個人的で曖昧なものだ。
子供が泣いていても私は迷惑とは思わないけど、それを迷惑だったり不快に思う人もいるのだろう。



仕事帰りの電車に、子供をベビーカーに乗せた若いお母さんが乗ってきた。
満員というほどではないけど、そこそこ混んでいるので、はらはらする。世間はベビーカーに厳しいと聞くし、大丈夫かな、と。
はらはらしていたら、お母さんは、今日も新しいお歌を覚えたね、とやさしく子供に話しかけ、それから子供と一緒に歌いはじめた。

びっくりした。
勇者だ。

ピクニック、ピクニック、と子供と声を合わせて繰り返し歌う。大きな声ではないが、会社帰りのサラリーマンが多数を占める静かな車内、殺伐とした空間にふわんと響く楽しげな歌声。
たくさんお歌うたえるようになったね、すごいね、とお母さん。

文句を言う人も、舌打ちをする人も、危害を加える人もいなかった。うるさいな、と思っている人はいたのかもしれない。でも何事も起きず、親子はふたつ先の駅で電車を降りた。
私も降りた。
階段を上りながら、ピクニック、ピクニック、と夫が小声で歌う。私の頭の中も、ピクニック、ピクニックのリフレインだ。


お母さんに関しては、マナーが悪い、車内で歌うなんて非常識、と思う人もいるのだと思う。
子供にかける声は本当にやさしく、愛情をもって接しているのが伝わってきたから、私は嫌な印象はぜんぜん持たなかったけど。まあびっくりはしたけど。

それより周りの対応だ。
だれも親子を傷つけようとしなかった。
マナーってこういうことなのかもしれない、と思う。
好意的でなくてもいい。うるさいけど我慢した、でもいい。無関心でもいい。
疲れや苛立ちを振りかざして、むやみに人を傷つけないこと。


うん、やっぱり、マナーが良いっていうのは行動ではなく状態だな。

なにもしないという、立派な思いやりであろうよ。




便利と不便

Suicaを家に忘れてきた。

駅で切符を買わねばならない。券売機の前に立ち、あ、値段わからない、と路線図を見上げたが、焦っているので現在地が見つからない。いったん視線を引いてみたら、現在地、とちゃんと矢印が出ていた。路線図だとそんなところにあるのか、この街。後ろに人がいなくてよかった。

他社線に乗り換えるために、次の駅でまた切符を買わねばならない。
乗り換え時間にあまり余裕がないので、路線図で探してる場合ではない、と電車の中で料金検索をする。小銭がちょうどぴったりあった。ポケットに用意しておく。 

駅に着くと急いで券売機に向かい、ささっと購入。改札は10列以上あって、その中でいつも使っているあたりの列を抜けようとしたら、その一帯はずらりとIC専用だった。切符の通れる改札を探すと、券売機のすぐそばにあった。そっち側の改札は出口専用だと思っていた。考えてみれば合理的な配列だ。


とはいえ不便。不便!


不便、と感じるのは、もちろん私が便利さに慣れてしまっているからだ。
20年前は路線図を見て切符を買うのも、乗り換えで切符を買い直すのも当たり前だった。面倒なんて思ったこともなかった。
でも、それだけでなく、世の中は確実に、「それを持ってないと、不便」な方向に動いてるのだと思う。

職場の最寄り駅は、エスカレーターもない古い駅なのだけど、去年、3つある改札のうちのひとつをIC専用に取り替える工事があった。
そのときはふーんと思うのみだったけど、切符を使う立場になってみて、なんでわざわざ替えたんだろう、と思う。どっちも使えるままでよかったのに。コスト的な問題なのか。

公衆電話がめっきり少なくなったり、ETC専用レーンが増えたり、お店のポイントがアプリでしか貯められなくなったり。

それを持っているから便利、だから持つといいよ
というところから、
だいたいの人が持ってるから、もう持ってる人が基準でいいよね?
になって、
それを持っていないと不便、持ってない人は不便だけどしょうがないですね
となり、然るべきものを備えている人のための便利さが追求されていくのだと思う。

いろんなものがどんどん便利になった世界は、そこに乗っからない人や、うっかり滑り落ちた人には、ぜんぜんやさしくない。


路線図を見上げて切符を買い、乗り換えでまた切符を買い、を20年前は当たり前にやっていた。
それをしなくて浮いた分の時間はどこへ消えたのだろう、と思ったら、狐につままれたような気持ちになった。


私のいない家でのあなた

去年の夏、猫が病気になった。
尿管に結石ができたことで急性腎不全になり、最悪の場合、余命一週間と言われた。そこから計三週間の入院と、その道の世界的権威といわれる先生による三回の手術。奇跡的に一命をとりとめ、本当に奇跡のように、元気になった。
とはいえ、失われた腎機能は二度と回復することはない。
かくして当時三歳だった我が家の次女は、持病持ちとしてこの先の猫生を過ごすことになったのだった。

当時は夫婦ともフルタイムで働いていたので、平日はほとんど家にいられなかった。
退院直後は、留守中に猫に万が一のことがあったらと気が気でなかった。もし猫がぐったりしていたら、と思うと仕事なんかしている場合ではない。早く帰るために必死で仕事を片付け、駅まで速歩きし(遠いので走ったらもたないのです)、乗り換えのためにダッシュして、自転車を全力漕ぎで帰っていた。

そこでこちらの商品です。


ネットワークカメラ。
家にWi-Fiがあれば、スマホアプリから室内の様子を見ることができる。
コマ撮り動画なので滑らかさはないが、動いているのは充分わかる。赤外線による暗視機能付きで、薄暗い部屋にも対応。スピーカーがついていて、姿が見えているときに呼びかけると、こっちを向いたりする(暗視時はビームのように目が光る)。
カメラは固定なので、撮影範囲外にいられるとどうにもならないのが難点。

休憩中に様子を確認して、歩いていたり、いつもの場所で寝ていたり、前回いた場所から移動していたりすると、よし、大丈夫、と思う。
逆に、何度チェックしても姿が見えない時、何度見ても同じ場所で同じ姿勢でいる時は、心臓がしゅるしゅるする。そんな日は大急ぎで帰ります。

元気でいることが確認できれば、安心して残業もできる。それができるようになっただけで、買ってよかった。
あと、たまたま見たときに、にょろにょろ動いていたり、爪を研いでいたりすると、ほくほくしていい気分で仕事ができるのも、いいところ。

生き物を飼っている人にはぜひお勧めしたい一品。


こちら上位バージョン。これは遠隔操作で向きを変えられる! 欲しい。


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広島のこと

高校の修学旅行は広島と萩・津和野だった。
萩なんて高校生には渋すぎやしないか、という話はさておき、今回は広島の話です。


当時の私はコンプレックスの肥大した強烈な人見知りで、数少ない友達以外の人と接するのが苦痛だった。みんな私のことを暗くて地味で気持ち悪い大女と思ってると思っていた。朝から晩まで親しくない人たちと過ごさなくてはならないなんて、苦行そのものである。

そんな苦行の初日が広島だった。
厳島神社原爆ドーム、原爆記念館だったと思う。
厳島神社の赤い舞台を歩いたことはうっすら覚えている。平和記念公園の白く広い道を不安な気持ちで歩いたことも、うっすらと覚えている。
それなのに、原爆ドームと記念館の記憶がないのだ。平和記念公園まで行って、見ていないはずがないのに。

さらに酷い続きがある。
広島市内のホテルに泊まり、夕食と入浴の後、みんなで被爆した方のお話を聞いた。
本当に申し訳なくて恥ずかしいことなのだけど、私はその間、眠気を堪えるのに必死だった。
貴重なお話を聞かせていただいていることはわかっているのだ。真剣に聞かなくてはならない、眠るなんてありえない。それなのに眠くてたまらない。

言い訳をすると、私は高校生にしては夜更かしのできない子で、家でも23時には夢の中、友達の家に泊まりに行ってもさっさと寝落ちするタイプだった。
それが日中の苦行に耐えた後で、しかも満腹で風呂も済んでいるとなれば、脳がどれだけ足掻いても身体は完全に寝るモードだったのだ。  

落ち込んだ。本当に失礼なことだ。授業中にも居眠りなんてしたことないのに。激しく自己嫌悪しながらレポートを書いて出した。


少なくとも私は、原爆について知る心構えができていなかったのだと思う。
知るのが怖かったし、知りたくないとさえ、思っていた気がする。あの日、記念公園の真っ白な道を歩きながら。


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金曜日、休みだったのでオバマ大統領の広島訪問の様子をリアルタイムで視聴していた。
ニュースではあまり取り上げられていないけど、私がいちばんぐっときたのは、後半のこの部分だ。

我々はひとつの人類なのである、という話のあと、こう続く。

That is why we come to Hiroshima. So that we might think of people we love. The first smile from our children in the morning. The gentle touch from a spouse over the kitchen table. The comforting embrace of a parent. We can think of those things and know that those same precious moments took place here, 71 years ago. 

引用こちらから

この場所で我々は愛する人たちのことを思う、
子供たちの朝いちばんの笑顔、
テーブル越しに触れる配偶者の優しい手、
親に抱きしめられる心地よさ、
それらを思うとき、それと同じ尊い瞬間が、71年前のこの場所にも存在していたことを知るのだ、
というような話。


子供たちの一文の後、一瞬オバマ大統領は口ごもった。原稿を作ったのが誰であれ、そのとき彼は、想像したのだと思う。自分の家族と、それが失われることを。

高校生の私は想像することができなかった。
原爆も戦争も物語の中のことだった。

戦争とは、そういうことなんだろう。
ちゃんと自分に引き寄せて考えられるかどうか。自分の家族や友達や故郷が脅かされることをリアルに想像できるか。
そんな惨禍を自分事と思えない人間が戦争を起こすのだろう。


と思った、金曜日。


思えば叶う未来であるなら

先日、美容院に行ってきた。

どんなふうにしましょうか、と言われて、そうねえ、どうしましょうかねえ…と答える。
今回の目的は梅雨に向けて縮毛矯正をかけることだけで、どんな髪型にするかなんて考えていなかった。おかっぱ・ぱっつん禁止令が夫から出ているので、そうならないように、とだけ伝える。あとは適当にやってください。

いつも、何のイメージもなく行って、美容師さんを困らせる。
昔はちゃんと雑誌を見て、これかわいい、こんな感じ、とイメージして行ったのだ。待合室の雑誌を見たりして。
でもそのうち、それは無駄である、と学んだ。
なぜなら私の髪は、太い、多い、硬い、癖毛、の四重苦なのだ。

雑誌のヘアスタイル特集で、このスタイルに適した髪質はこれ、というチャートがよく載っているけど、それがこの四重苦に適合しているのを、私はたぶん見たことがない。
この髪型だと、縮毛矯正のあとにパーマですね、とか言われる。なにそれめんどくさい。そこまで髪にお金かけたくない。
湿気があってもぐねんぐねんにならなければ、それで充分。


思い返せば、そもそも昔から、出来上がりをイメージするのが苦手だった。
算数(数学?)で苦手なのは展開図や空間図形。
絵を描くのが好きだったけど、完成したところを想像できないまま描き始めてみたり。
雑誌やWebですてきな部屋を見て、こういう部屋いいねえ、と思ってもそれを自分に適用することができない。

就活のとき、エントリーシートで、三年後だか五年後の自分を想像せよという課題があったのだけど、なにひとつ思い浮かばなかった。
まあ、働いているかな、とは思うけど具体的なことはなにひとつ。
無理だ、と思ってその会社は諦めた。本当に何も思いつかなかったのだ。

想像力が欠けているというわけではないと思う。物語を夢想するのは大好きだ。
でもそれは、ここではないどこか、の物語。
あるいは、私のようで私でない、架空の私が繰り広げる物語。


未来は潜在意識がイメージしたとおりになる、という考え方がある。
その考え方でいうなら、なんにもイメージできなかった結果の今が、この、なんでもない私である。
合ってる。


ひとりでいたときは、まだ、なんとなくイメージできた。五年後、お金を貯めてここに小さな家を建てる。誰に建ててもらうかも決めていた。淡々と働き、ときどき旅行に行って、好きなものばかり集めて暮らす。
でも、そうはならなかった。
ある音楽に出会い、それはもう恋のように焦がれ、誘われるように東京に出てきて、そこで今の夫と出会ってしまったから。

ためしに五年後を想像してみる。
住宅ローンを払いつつ、小さな庭のある家で、夫と猫三匹(これはもういる)と子供一人(これはいない)と暮らしている。
なんて書きながら全然おもしろくない。
子供ができるかわからないし、それによって私の働き方も違うだろうし、もしかしたらお姑さんと同居になるかもしれないし、もしかしたら、を考えだしたら、五年後もみんな無事でいられたら、それだけで充分じゃないかと思う。
五年後、無事でいられる保証なんてどこにもない。
具体的にイメージしたぶんだけ、不測の事態でそれが叶わなかったら、苦しいのではないか。


ひとつだけ、高校生のときに未来の自分について思ったことを覚えている。
幸せな夢をいつでも見ている、幸せな大人になろう、と思ったのだ。
本当は、しばらく忘れていた。忘れて過ごしていたのが、去年くらいに突然思い出して、そうか…と思った。
幸せな夢。漠然としている、まさに今の私のごとくに。でも悪くはないな。


つなぐ手と猫の寝息と水の音 夢とはすべてここにないもの