あのころ作った歌、2008年前半

今月も「短歌の目」に参加させていただこう、と思うのだけど、まったくもって、するりとは出てこない。

かつては毎日のように作っていたのに。

たぶん、今よりも体の中に五七五七七のリズムが自然にあったのだと思う。

ということで、それを取り戻すべく、図書館で歌集を借りてきたり、昔作った歌を読み返したりしています。

 

 

前回に続き、2008年前半。

 

 

透明な残像に目を奪われて気づけば恋の掌のうえ

 

ひとひらの真綿ふわりと手のひらに跡形もなく季節の終り

 

水色の空に木の芽もふるふると誘われるなり無辺の未来

 

青空に揺れる桜と舞う鳥とあの人が笑う至上の春よ

 

終りなき旅を行くほど強くなくだから去るのだマイクを置いて

 

視線交わし光閃くきっとまたひとりよがりかも空が眩しい

 

明白で確信に満ちて揺るがない運命なるものひとつください

 

迷いなく湖面は凪いで水底の世界へ降りてゆくならば今

 

真夜中に悪魔が来たりて手の中のおにぎりを握りつぶせと歌う

 

の夜に蛙の声も鳴り止んで誰の名前を忘れてゆくの

 

 

この頃は歌を作ることが本当に楽しかった記憶がある。

恋をして、失恋して、いろいろと行き詰まり、それでも信州の風景は美しい、という日々。

 


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いまさらながら紅葉

先週末、近所の禅寺に紅葉を見にいってきた。


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去年はちょうどピークの時期に行くことができて、今年も同じタイミングを狙ったのだが、残念ながらもう終わりかけだった。

ここは赤い紅葉が多いのが魅力なのだけど、赤いもみじは枯れはじめているものが多く、その代わり、去年はあまり目立たなかった黄色いもみじがよく目についた。

というか、黄色いもみじなんてあったのだね、と。


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 黄色いのは途中経過であって、待っていれば赤くなるものだと思っていたが、そういうものではないらしい。

なんなら鮮やかな黄緑のもみじもいた。色が変わりはじめる気配もなく、これはこのまま青々としたまま落葉するのだろうか。 

 

去年は絢爛たる上ばかり見て歩いていたので、葉っぱの形や大きさがまちまちであることにも気づかなかった。

調べたらこんなにいろんな種類があるらしい。

 

日本産カエデの種の判別

面白い。

 

一緒に行った義母がきれいな葉っぱを拾って持ち帰っていて、そうすれば後から調べて楽しむこともできるのだなあ、と心惹かれた。

私も子供のころは、葉っぱとかどんぐりとか松ぼっくりとか石とか、よく拾って帰っていたな、と思い出す。

来年は私もやろうかなあ。

 


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ピークは過ぎたとはいえ、赤いのもちゃんとありました

 

 

 

あと余談ですが

いまテレビ見ながら適当にチャンネル替えてたら、TOKYO MXハートキャッチプリキュアの再放送してました。

毎週金曜19:00~19:30とのこと。

今日はまだ第4話、ということで視聴可能な方はぜひ!

 



 エンディング振り付けは前田健さん。かわいいダンスで大好きだったなー。

 

ついでに昔の歌と、記録すること

ここ数ヶ月、ふと思い出したように、妊娠したのだから今しか詠めない短歌を、と考えていたのだが、これがまったく浮かんでこない。

そんな時に「短歌の目」をたまたま目にして、作った歌は、やはり妊娠とも出産とも家族ともなんの関係もないものになった。

 

恋すると人は誰も詩人になってしまうもの、とは谷村有美『圧倒的に片想い』(マイベスト片想いソングです)のフレーズであるが、片想いとまではいかずとも、なにかに、あるいは誰かにときめいている時期ほど、歌が増える。

なので、結婚してからというもの、さて詠もう、と意気込まないとなかなか自然にぽんとは浮かんでこないのだった。

 

若き日々、ときめきを食べて生きていた頃のものをいくつか。

 

<2007年編>

 

あの人の近くを通るためだけのコーヒー100円必要経費

 

惹かれ惹かれて夢に見る夢のなか現に次いでまた恋をする

 

細糸につないであった雨粒は弾けて飛んださよならすべて

 

つめくさの葉にふるえる雫のごとく拒まれてなおうつくしいまま

 

美しいあなたを祝福するように祈りのようにきらきらささめ

 

にじみゆくうすむらさきの空に立つ白い足跡 ここからどこへ

 

 

当時は日記代わりに携帯に毎日メモしていたので、短歌というよりただの雑感を三十一文字に収めただけ、というものも多い。

それでも、コーヒー100円、とか読み返すと、当時の気持ちや情景を生々しく思い出す。真冬の寒い中、100円玉を握りしめてわざわざ外の自販機まで行ったなあ、と。

ああなつかしい。

 

日記にせよ短歌にせよ、私はたぶん、未来の自分に伝えるために書いていたのだと思う。

今ここ、この感情、この感覚を。

写真もそうだ。

私は昔から記憶力が乏しい方で、古くからの友達と話していて、そんなことあったっけ? ということがたくさんある。

それを覚えておけるようになったのは、日記や写真で記録するようになってからだ。

 

ピチカート・ファイブの『悲しい歌』という曲がある。

とても悲しい歌が出来た、あんまり悲しい歌だから君に聴かせたくないけど、と始まり、恋人に別れを切り出す歌なのだけど、最後はこんなふうに終わる。

 

ごめんね

だけどいつの日かみんな忘れるはず

 

悲しい、と思った。

心が変わることも、お別れも悲しいけれど、忘れてしまうことはなによりも悲しい。

いま思うと、この部分は、いや忘れることなんて本当はできない、というふうに反語的にもとれるのだけど、これを聴いた当時の私にはそんな解釈はできなかった。

なぜなら私は忘れてしまうから。

過ぎ去れば忘れてしまうと、自分でわかっていたから。

 

忘れることは悲しい。

だから強迫観念のように毎日日記を書いた。書かなければ消えてしまうと思った。その出来事も感情も、なかったことになってしまうと。

数年前、どうしても書く時間のとれない、嵐のように忙しい時期があって、実際にその頃の記憶は曖昧だ。いろいろとあったはずなのに、全体的にぼやっとしている。

 

なかったことになどならない、とわかってはいるのだ。

楽しかったことも、悲しかったことも、傷つけたことも、消えない。たとえ忘れても。

でも、とどうしても思ってしまう。

それはもしかしたら、せっかく感じたことがもったいない、という貧乏くさい感覚なのかもしれない。

 


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この愛の始まりも 恋の終わりも

この愛の始まりも 恋の終わりも

 

『圧倒的に片想い』収録。

 

 

PIZZICATO FIVE JPN

PIZZICATO FIVE JPN

 

 『悲しい歌』収録。

 

 

短歌の目11月、初参加(きつねのためいき)

短歌の目!
初めて参加させていただきます。

ずいぶん前にどなたかのブログで見かけ、なにそれ楽しそう、私もやってみたい、と思ったのが、はてなブログを始めたきっかけのひとつだったことを思い出しました。
再開されていたなんてうれしい。
どうぞよろしくお願いします。



1. 本

昼休み本を片手に前をゆくあなたはいつも光のなかに


2. 手袋

手袋の紐をぐるぐる巻くたびによみがえる冬は失恋の冬


3. みぞれ

灰色の空の向こうが明日なのか 傘に降り積むみぞれの重さ


4. 狐(きつね、キツネも可)

あの雨が嫁入りならばこの風はきつねのためいき ぬるくてあまい


5. メリークリスマス

三日月もマンションの窓も金星もぴかぴかとしてメリークリスマス



テーマ詠「酒」

かわうそのまつり、の意味を教えつつ透明な酒にくちびる寄せる

20年前と変わらぬ華奢な手で熱燗注ぐ 変わらぬものなど

次もまた無事で会おうとそれだけを約束にして手を振る月夜





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日記を書く

水曜日、曇り、休み。

昨日からふわふわとめまいがするので、夫の弁当を作って見送るとまた横になる。猫にはてきとうにカリカリだけ与えてきたら、これじゃないでしょー! 朝はパウチでしょー! と鳴いているのが聞こえる。あとであとで。
そのうち自分もおなかがへったので起きる。


というような日記を何年もEvernoteに書いているのだけど、書いておいてよかった、と思う出来事が今日あった。


去年の秋に楽天バイルのスマホを契約し、先月、その時のキャッシュバックのお知らせメールが届いた。
のだが、ちょっといろいろとあって、その後の送金についてのメールが来ず、振り込みもされず、という状況になってしまい、このまま黙っていたら踏み倒されてしまう、と急いでサポートセンターに問い合わせをしたのが一週間前。
今日その回答があった。
契約者氏名や連絡先、購入した端末のほか、申込日とキャッシュバック金額も書いて返信してほしいと書いてある。

申込日は、メールを検索したら受付完了メールが出てきた。申込日がいつとは明確に書いていないけど、たぶん自動返信だからこのメールが届いた日だろう。
しかし、キャッシュバック金額とは。
そんなの覚えてないよ…!


ここでEvernoteの出番です。

まず「楽天バイル」で検索したら、1件の日記がヒット。
日付はメールの受信日と同じで、やっぱりこの日だね、と確信する。
ただ、内容は「楽天バイルの申し込みをする。端末は一括払い。」との記述があるのみで、金額については書いていない。

続いて「キャッシュバック」で検索すると、翌日の日記が出てきた。
以下、内容の抜粋。

「ヤスのライブの申し込みをしなくては。イープラスは手数料があほみたいにかかるので嫌いだが背に腹は変えられない。
来月にはKIRINJIのCDも発売され、ファンクラブの更新も、と、これだけで1万5千円もかかる。昨日の端末代が3万、半年後に1万キャッシュバックされるとはいえ、出費が著しい。CDは延期しようか。
着るものもない(黒いボトムスのときに羽織るものがない)し、スマホなんか要らなかったかもしれない。なければないで、平気なのに。
ヤスにはどうしても会いたい。」

とのことです。
金額判明。

ちなみにヤスとは堀込泰行のことで、本日、脱退後初のオリジナルCD発売。いま聴いてる。好きだ。


スマホであれこれ手続きするようになってからは、スクリーンショットを撮って保存するようにしているのだけど、この時はパソコンから申し込んでいるので、何も残していなかった。
Macスクリーンショットのショートカットキーをすぐ忘れてしまうので。


というわけで、今回は過去の日記に助けられました。
他にも、猫がこんなふうに体調悪かったのはいつだっけ? そのときはどうしたっけ? という時にも役立った。
妊娠してからは日記も滞りがちだったけれど、やはりがんばって継続していこう、と改めて思う出来事でした。
みなさんもぜひ。


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ぜんぜん関係ない、数日前の空。
秋だね。

なあなあで仕事をする人たち

12月頃には仕事を辞めるので、その前に、仕事について思うことを書いておく。
辞めたら、しばらく再就職はしないかもしれないので。


現在、パートで事務の仕事をしている。もうすぐ三年半になる。

仕事にはストレスはつきもので、パートとはいえ私にもそれなりにストレスはあるのだが、そのほとんどが、なあなあで仕事を進めようとする人、に対するものだと気づいた。


たとえば本来自分がするべき仕事を、何も言わず、他の仕事に紛れこませて、私のところに置いておく人がいる。
わかるよね、と言わんばかりに。
ええ、わかります、そういうことをする人なんですよね、と思う。

本来自分がするべき、という意識さえないのかもしれない。他の人はみんな自分でやっていることだけれども、自分は管理職だからやる必要がないと思っているのかもしれない。
それでも、付箋に一言、お願いします、と書けば済む話だ。
書いてあるだけで、はいはい了解ですよー、と素直に思える。
そのひと手間を惜しむから、まあパートだからって舐めてるんですよね、そういう人でよすね、と思われる。

この人が、先週の金曜に、月曜は昼から出かけるから、土曜日中に全部終わらせておいて、と仰った。
本来は土曜と月曜の2日かけてやる仕事だ。
私は土曜日は用事があって休みをもらっていたのだが、出てくれた人は、旦那さんも子供たちも休みの日だというのに、残業してなんとか終わらせてくれた。
それはまあ仕事だから仕方ない。
だが、実際に月曜日になったら、出かけるはずだった人は夕方までばっちり社内にいらっしゃったのだ。

なんだそれは、ふざけてんのか、と思う。
口は悪いが本当にそう思った。
予定が変わったならどうして早く言わないのか。
もし当日急に変更になったなら、せめて、予定が変わったごめん、の一言くらいあってもいいだろう。
それがないなら、ただの嘘つきと同じだ。


どうして、の理由はたぶん、言わなくても構わないと思った、なのだろう。
どうせやらなきゃいけない仕事を、早く終わらせてもらっただけ。
別にいいでしょ、予定が変わることもあるでしょ、わざわざ言うほどのことじゃないでしょ。


もう一人いる。
最初は私が、あまりに忙しくて伝票の提出が遅くなるようなら、そういう時は回してくれたらこちらでやります、と言ったのだ。
初めのうちは、すいませんお願いします、の言葉とともに時々回ってくるだけだった。
数ヶ月のうちに、なんの言葉もなく、毎日、私のところに回ってくるようになった。忙しくなさそうな日でも、当たり前に。

忙しくなさそう、と言っても私のほうがほぼ毎日早く帰っているので、とりあえず、やる。
向こうはもう完全に、私がやることになっているのだと思っているのだろう。
だが私は思っていない。
だって頼まれてない。

そうやって、なあなあのうちに人に仕事を押しつけようとする人は、時々いる。
そういうのを見るたび、がっかりする。
ちゃんと頼んでくれたら、やるのに。
これからは毎日お願いします、の一言があったら、ちょっと嫌な顔くらいはするかもしれないけど、たぶん引き受けるのに。


私が日頃から気に入らない、なあなあで仕事をすること、とは、
共に働いてる相手に対して、改めて頼み事をしたり、謝ったり、お礼を言ったり、という労力を惜しむこと、なのだと思う。

まあ私も平気で嫌な顔なんかをしてしまうので、頼んだら嫌な顔されるかも、と思われている可能性はある。
でも、それを避けるのは卑怯ってものではないか。
自分の本来やるべき仕事を人に頼むんだから、嫌な顔くらい覚悟して、受け流せよ。


そういう人たちはプライベートでもなあなあなんだろうか。
ちゃんと、親や奥さんに感謝を伝えたり、謝ったり、してるんだろうか。

むしろ私は、身近な人たちにちゃんと、なあなあでなく接しているだろうか。
親しくなるほど、言わなくてもわかるでしょ、とか、わざわざ言うほどのことじゃない、で済ませてしまいがちなのではないか。


気をつけて自分を観察してみようと思う。




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だめな自分もまるごと愛する、ということ

普段そんなにアニメは観ない。
他のプリキュアも観ていない。
でも、ハートキャッチプリキュアは本当に大好きだった。

放送当時、たまたま母の日の回(名作)を観て、現在の夫と二人でぼろぼろ泣き、それから毎週観るようになったのだった。
数年前にテレビ神奈川で再放送をしていたので、全話録画した。
それを最近、何週間かかけて、最初から観た。


ハートキャッチプリキュアのテーマは「コンプレックス」である、と以前どこかで制作者の方が話していた。

一人めのプリキュアは、臆病で引っ込み思案な自分を変えたい。
二人めのプリキュアは、モデルで美人の姉に劣等感を持っている。
ほかの登場人物たちも皆、それぞれの悩みや不安を抱えている。
なにかを我慢していたり、本当のことが言えなかったり、好きなのにどうしてもうまくできなかったり、自分に自信がなかったり。
そこを敵につけこまれて、デザトリアンという怪物に変身させられ、そこで初めて自分の本当の気持ちを口にする。
周りの人間は、それを聞いて初めて、彼や彼女の気持ちを知る。

プリキュアに浄化され、元に戻った人たちは、夢の中の記憶としてそのときのことを思い出す。
そして自分の本当の気持ちを受け入れる。
受け入れて、少し、強くなる。


今回改めて最後まで観てみて、改めて、これ子供向けじゃないよなあ、と思った。
特に後半、プリキュアたちがさらに強くなるために、試練を受けるところがある。
その試練の内容が「影の自分と戦う」なのだ。

あなたは弱い、あなたはこういう人間だ、と影の自分は言う。
だけど私は変わった、それは過去のことだ、とプリキュアは言う。
じゃあ、と影が言う。
じゃあ、がんばってきた私は、もう、いらないの?


自分の影との対決、そして受容。
まるでカウンセリングのよう。

本当の私、とか、自分の弱さが嫌い、なんていう気持ちをいつのまにか通り過ぎてしまった私でも、心が揺れる。
それは多分、いつか存在していた私、がそこにいるからだと思う。
私はちゃんと、あのころの私を抱きしめられているだろうか。



大人にこそ観てほしいプリキュア
もし再放送を見かけたら是非。



Blu-rayこれから発売なのか!!
それは再放送はないな。