鮭、ふるさとへ
前回の記事から七十二候を追うようにしているのだけど、一昨日から新しい候(というのか?)に入りました。
鱖魚群、さけのうおむらがる。鮭が群がり川を上る頃、ということらしい。
おや?
北海道土産の木彫りの熊、彼らがくわえてるのは、川を遡上してきた鮭ではないのか。
でもひとつ前の候で熊は冬眠に入っている。どういうことなの。
ウィキペディアによると鮭の遡上は10月から12月とのこと。ということは、12月半ばのこの時期、すでに大半の鮭はふるさとの川に戻ってきている。
そう考えると、この「鱖魚群」の鮭は、群れて上っているのではなく、冬眠前の熊からなんとか逃れて川を上りきり、産卵のために群がっている状態なのでは、という気がする。
大海を3〜5年回遊してからふるさとに戻る。幼なじみが一堂に会するようなものか。
久しぶり、久しぶり、元気だった?
あの子はまだ帰ってきてないんだね。
あいつ、可愛くなったよな。
そりゃあ3年も経てば、鮭は変わるよ。俺だってお前だって。
そしてメスをめぐるオスたちのバトルが始まる。
今はたぶんそういう時期です。
鮭は卵を産むと死んでしまう。
遠くの海を旅して、生まれた場所に帰り、同じ場所で生まれた相手と子を成し、生まれた場所で死ぬ。
鮭は産卵のために生まれた川へ帰る、と言われがちだけど、産卵=死である彼らは、もしかしたら、ふるさとで死ぬためにそこを産卵場所にしているのかもしれない、とふと思う。
そこで死ぬために生まれた川へ帰る。
まあ実際にはそこが自らの種の生育に適しているから、とかなんだろうけど。
私が生まれた場所にはもう友達と遠い親戚しかおらず、地元愛もさほどないので、なんともいえないのだけど、こういう人って少なからずいる気がしている。
上京して結婚して地元に戻って家を建てるとき、ある程度は、そこに骨を埋める覚悟があるということなのかな、とうっすら想像する。
私はどこで死ぬのだろう。
まだまだ、考えられない。
どこまでも行ける気がした あの川へいつか帰ると知っているから
↑地元に帰ろう、地元で会おう、ってね
まさに暦の上ではディセンバー
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