おやすみくまさん
先日こちらを読みました。
大好きなのだ、津村記久子。
これは季節ごとの風物詩や祭りやモノや何やらにまつわる随筆集で、と書くと風流なようだがそんなことはなく、延々と自転車競技の選手の話をしてたりするのだが、それはさておき、
各タイトルの最後に七十二候の記載がある。
散歩が好きで、季節の移り変わりを眺めるのも好きなわりに、私はそういうのに疎くて、二十四節気だとか七十二候なんて昔の日本に合わせたものでしょ、現代日本の季節感とはずれてるんでしょ、くらいの認識でいた。
でも、見ていくと、これが意外と面白い。
11月の下旬に、「虹蔵不見」、にじかくれてみえず、というのがある。
このあたりから光が弱くなって虹が見えなくなる、ということらしい。
えっ冬って虹見えないの…!? と衝撃を受ける。そういえば見たことがない。見るのは夏と秋ばかりな気がする。
そうか、見えないのか。もう来年の春まで虹は出ないのか。というか春もあまり虹のイメージがないけどいつから見えるのだろうか。
と、知らなかったことをひとつ知って、そこから謎がふくらんでいく。ほら面白い。
今は七十二候では「熊蟄穴」、くまあなにこもる、らしい。
くま、あなにこもる。
好きだ、この響き。
声に出して読みたい。くま、あなにこもる。
穴にこもって何をしているかというともちろん冬眠なのだが、その間にメスの熊は子を産むらしい。
この時期から巣穴にこもり、冬の間に子を産み、翌春に穴から出てきたものを私は知っている。
去年の私だ。
実際は臨月には散歩でそのへんを歩いていたが、産んでからひと月はほぼ家にこもり、3月の終わりにお宮参りのために久しぶりに外に出たとき、外が明るくて、ああ春だ、と思ったのを覚えている。
早めの桜や、辛夷、白木蓮、淡い色の花たちがきらきらと車窓を流れていくのを見ながら、ひっそりと胸を高鳴らせていた。
私が穴にこもっている間に冬は終わったのだ。
冬眠から目覚めて巣穴から出るとき、熊もこんな気持ちになるのだろうか。
さようならくまさん 次に会うときは淡いひかりの中 春の中
余談
昨夜はこのブログを途中まで書いて寝落ちして、落ちる直前に話の展開を忘れないようキーワードをメモしておいたのだが、いま見たら書いてあったのは
「去年の今頃」←これはわかる
「おもちゃのピアノ」←????
落ちる直前どころかすでに夢の中にいたらしい。
↑寝かしつけの友。とんでもなくかわいい