温風至(熱風の来て)

2日遅れました。温風至、あつかぜいたる。暖かい風が吹いてくる頃。あつかぜ、というくらいだから暖かいというより熱い風か。夏の湿った南風。

湿気をたっぷりと含んだ熱風にあたると、苦しくなる。体じゅうの毛穴が湿気で塞がれて、息ができない、皮膚呼吸ができない、と思う。肺呼吸ができていれば問題ないはずなのに、皮膚が塞がっただけで、とても苦しい。

 

あつかぜいたる、の「至る」は言うまでもなく「南から至る」だ。暖かい季節は南からやってくる。4月の「つばめきたる」も「南から来たる」だった。

ずっと南には赤道があり、赤道に近いほど(原則的には)暑い。そのために、日本人には《南・暑い・夏》《北・寒い・冬》という対立的なイメージのグループがあると思う。

南のグループは、眩しい。そしてポジティブだ。南の島でバカンスだとか、夏は恋の季節だとか、私の恋は南の風に乗って走るとか、夏夏夏夏ココナッツだとか、やけにテンションが高い。夏休みという長期休暇の存在も大きいのかもしれないが、なんだかとても楽しそうだ。

一方で北のグループはしんみりしている。冬山でバカンス☆みたいにはならないし、冬が来る前にもう一度あの人と巡り会いたいし、北へ帰る人の群れは誰も無口だ(とはいえ北の酒場通りには女を酔わせる恋があったり、ゲレンデが溶けるほど恋したかったりなどテンションの高い例もたくさんあるので、あくまで言葉自体の漠然としたイメージです)。

 

何年も前、夏の日本海に行った時に友達が言っていたことが、とても印象的だった。

曰く、夏の日本海が落ち着いて見えるのは、南を向いていないからだ。太平洋側の浜辺、湘南などは南を向いているので、太陽が燦々と降りそそいで明るい。その違いが、日本海と太平洋のイメージの違いなんだろう、と。

なるほどと思った。太陽と海が同じ方向にあれば、目に入る光の量はとても多くなる。それは明るい。それは眩しい。テンションも上がろう。

そんな話をしながら、人もまばらな小石の浜辺に寝転んで波の音を聴いていた。波が寄せて返すたび、小さな石の転がる音が耳元にしていた。自分も石になって海に引きずり込まれそうな感覚。夏も暑いのも眩しいのも嫌い。テンションの低い海は私にとてもやさしかった。

 

南から熱風の来てひとけないうすむらさきの浜辺にも夏

 

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糸魚川のラベンダービーチというところ

 

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このたびの豪雨の被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。

この「南からの温風」が豪雨の一因であったことを思うと、なかなか今回の候について書く気になれませんでした。たくさんの方が亡くなって、たくさんの方が苦しい思いをされているのに、呑気に南風の話なんかしていていいのだろうかと。それでも書いてしまった。

 

大きな災害が起きたとき、自分をその出来事のどこに位置付けたらいいかわからなくなる。当事者ではない、といって他人事と割り切ってしまうのも苦しい。

3.11の津波の映像を当時リアルタイムでテレビで見ていた。どこどこに何百人の遺体が、とアナウンサーが言う。その数がどんどん増えていく。怖くて怖くて涙が止まらなかった。今も思い出すと泣いてしまう。それ以来、震災だけでなく他の災害の映像や仔細な被害状況などを見るのがつらくなった。だから実は今回もあまり見ないようにしていて、でもそれは自分と切り離して他人事にしようとする行為なのではないか、という葛藤が常にある。でも現実的に、私なんかが心を痛めたところで状況が良くなるわけではない、とも思う。思いながら、ぽつぽつ貯まってきていた楽天ポイントを募金した。

どうか行方不明の方々が一刻も早く見つかりますように。被災された方々に穏やかな日々が訪れますように。