蓮始開(淀みのなかに)

蓮始開、はすはじめてひらく。蓮の花が咲きはじめる頃。

蓮は泥の中で発芽し、すっと伸びて、汚れなど知らない顔で美しく咲く。しかも大きな葉は水をころころと弾いて、雨が降っても風が吹いて土埃が舞っても、やはり汚れることがない。ひとことで言って清浄。仏教やヒンドゥー教で象徴的に扱われるというのも納得である。ひとつだけ咲いても、たくさん咲いても、蓮は美しく、清しい。

泥の中から生まれて、外界の汚れを拒んで美しく咲く、なんてもう、物語性がありすぎてドキドキしてしまう。しかも何百年、何千年前の種子でも発芽したりする。千年後にコールドスリープから目覚める孤高の魂。

 

そんな壮大(風)な物語でなくても、たとえば泥は自分の醜さで、その中にも堅い殻に守られた種があり、いつか咲く、と思えばそれはささやかな希望の物語になる。あるいは、泥は自分を取り巻く状況で、それでも自分だけは美しく在ることができる、という希望。蓮は泥より出でて泥に染まらず。いくつもの解釈ができる言葉だと思う。くさらずに生きていきたいと思う。

 

蓮の花 淀みのなかに咲くならばこの大地みな薄紅となれ


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