つわりと精神論

つわりがきつい、といっても、吐きつつもなんだかんだ食べられてはいるので、こんなのきついうちに入らないのかもしれないけど、きついものはきつい。
海亀のように涙を流しながら胆汁を吐く日々。

つわりの原因やメカニズムは未だ完全には解明されていない、という。
そろそろ本気で解明に向けて動いてくれてもいいと思うの、と子供のいる友達に言うと、
初期は流産の危険があるから、母体を安静にさせるためにつわりがあるとか言うよ、だとか
おなかの赤ちゃんが自分の存在を主張してるらしい、だとかいう返答がきた。

いやいや、そういうことじゃない、と思う。


でもつまりはそういうことなのか、とも思う。


人類が誕生してから今日に至るまで、毎年、無数の女性が出産をしているわけで、そのサンプル数は膨大であるはずだ。
それなのに未だにつわりのメカニズムは不明。
本気で解明する気がないんじゃないの、と思っていた。

それは結局、子供を産むってそういうことよ、苦しいことに耐えてこそ一人前の母になるのよ、という考えが蔓延しすぎているからなのではないか。
つらくて当たり前。
そういうものなのだから我慢しろ。

そういうもの、という断定や諦めは進歩の敵だと思う、何事も。

安静にするためだから仕方ない、赤ちゃんの自己主張だから仕方ない、なんていうのは、そう考えなくてはやっていけない、と母親自らが思うのであればいいけど、人に言われて納得できるようなものではない気がする。
いや別にそんなのなくても安静にするし。
自己主張だって、安定期に入ったら止めちゃうのかよ、だし。
苦しくなくても愛するし。

嫌いなのだ、精神論。
というか精神論で丸め込もうとする考え方が。

おそらく友人たちも、誰かに言われたかどこかで目にしたことを、そのまま伝えているだけなのだろう。
そういう精神論が当たり前にまかり通っている妊婦の世界。


現実的に、つわりなんて余程のことがなければ生死に関わるものではないので、もっと重大で深刻な病気の研究に力を注ぐのは、当然といえば当然なのかも。
それでも毎年世界で一億人もの子供が産まれていて、それだけの妊婦がいるのだから、もう少し、原因と対策(とくに対策!)の解明に本気を出してくれてもいいと思うのよね。
それっぽい精神論に逃げるのではなくて。


ちなみに、つわりきつい、と母に弱音を吐いたら、体の中に異物があるんだからしょうがないでしょ、とばっさり。
赤ちゃんの自己主張らしいよ、なんて言ったら、はあ? と鼻で笑われそう。
きれいごとも何もないので、逆に清々しい。


f:id:macskak:20160731150110j:image


先日のキャンペーンでの、はてなさんからのQUOカード、無事こっそりと受け取ることができました。
早速使っています。
ありがたいかぎりです。


母の不用意発言に惑わされる話

私の母はちょっとサザエさんに似ている。
主にうっかりさとか、忘れっぽさ、不用意さが。

そんな母のここ最近のベストオブ不用意発言は「うちは望んで子供ができたわけではないし、欲しいとも思ってなかった」である。
それを長子の私に言っちゃうのだ、あの人は。
思春期だったら家出だ。

この発言はあくまで「結婚してすぐ子供ができたので、欲しい欲しいと思っていたところにできて嬉しい! という感じではなかった」という趣旨に過ぎない。
「子供なんていらなかった」とは言っていない。
言っていないが、そのあたりの判断は聞き手次第。
そこを補わないのが母なのである。
誤解されても文句は言えない。


私は、自分では、ちゃんと愛されて育ったと思っている。
愛されて、というのは大袈裟かもしれないが、少なくとも、ちゃんと育ててもらったと自覚している。

小さい頃、夜中に怖い夢を見て泣いていると、すぐに母が目を覚まして、よしよしと撫でてくれた。
それが嬉しくて、無性に悲しいときや寂しいときにも、怖い夢を見たふりをした。
そのたびに母は必ず撫でてくれた。
かわいいかわいいと甘やかされた記憶はひとつもないが、ちゃんと大切にされていたのだとは思う。

だからもし、母の発言の真意が本当に「子供なんていらなかった」だとしても、別にそれでもいいかと思う。
欲しくもなかった子供を、十月十日も腹の中で温め、産んで、ちゃんと育ててきたのなら、それはむしろすごいことだ。

ただ、もしそうだとするなら、なんだかすいません、という気持ちにはなる。
私の責任ではないので、母にありえた別の人生について云々する気はないけれど、そうやって育ててもらった恩返しは、しっかりしなくてはならない。
欲しくなかったとしても、産んでよかった、と思わせてやりたいとは思う。

とはいえ、どうすればいいか。 
若い頃、周りの友人たちを見ていて、結婚して子供を産むのってやっぱり最大の親孝行なのかなあ、となんとなく感じたり(そしてそれを叶えられないことを申し訳なく思ったり)もしたけれど、母に関してはどうもそのへんは怪しい。
孫を溺愛するというようなタイプではないのだ。
7歳の孫(弟の子供)に対してムキになって喧嘩したりしている。
もちろんかわいがってはいるのだが、むやみに甘やかさず、よく叱り、私や弟が育てられている時と、大して差がないような気がする。

なので、このまま順調に出産まで辿り着いたとしても、それが即、親孝行、とはならなそうなのである。
むしろ海外旅行とか連れて行ったほうが喜ぶのではなかろうか。飛行機も乗ったことのない人だから。


なんていろいろ考えても、本人は親孝行などはなから期待していないのだろう。
子供時代から現在に至るまで、母から何かを期待された覚えも、母の言動をプレッシャーに感じたことも、一度もない。
まあ、私も相当ぼんやりした子供だったので、もしかしたら気づかなかっただけなのかもしれないけど。

ちなみに父からは、結婚する前から、早くかわいい女の子の孫が欲しいなー(男児の孫は二人いるから)、としつこく圧をかけられていた。余談。


話が広がりすぎて主題を見失いかけていたが、つまり母はそういう、不用意な発言で周囲を惑わすところがある、という話。
私までまんまと惑ってしまった。

それによって同じように思い悩んでしまったのが、弟のお嫁さん。
もともと人の言葉を深読みしたりして思い悩みやすい人なのだけど、今回もまんまと惑わされ、こんなこと言われた、と私に相談してきた。
具体的には、「授かり婚で、望んで子供ができたわけではないから、○○(私の弟)は子供をかわいがらないのだ」と言われた、と。
そんなこと言うか?? と半信半疑で母本人に確認すると、えー! と驚いた様子で、そんなこと一言も言ってない、と言う。

その流れで、冒頭の発言が出てきたのだった。
でも、うちは望んで子供ができたわけじゃないって話ならしたよ、と。
いきなり私自身に関係する話。
不意打ちもいいとこだ。
そういうとこだ、そういうとこ。
その不用意さが誤解を招くんだよ。


たぶん私も、自覚していないだけで、その不用意さを受け継いでいるんだろうなあという気がしている。
少なくともうっかりさとか、忘れっぽさは、確実に受け継いでいるので、
とすれば、不用意さも付いてきちゃっていると思う、残念ながら。

気をつけよう。
なるべく、気をつけよう。
なるべくとか言ってしまうあたり、なんかもうだめな気がするけど。



f:id:macskak:20160719224053j:image
光の中でのびている白猫

はてなさんJR西日本さんありがとうございます

久しぶりにメールを見たら、はてなさんからメッセージが来ていて、先日のJR西日本マナーキャンペーンのお題でのまさかの入選。


ああびっくりした。
妊娠してから疲れ目がひどく、数日間ブログもメールも見ていなかったのだ。
しばらく休もうかなあと思っていた。
なんならもうこのままフェイドアウトかしら、くらいの。
でも、こんなことってあるのだなあ。
こんなことがあると、もう少し続けてみようかなと思う。

読みに来てくださった方々、スターをくださった方々、ありがとうございます。
ごめんなさいね、たいした記事ではなくて。
「ピクニックの歌」というタイトルだけは気に入っているんだけど。
まさか選ばれるとは。

夫には内緒のブログなので、QUOカードはなんとしても自分で受け取らねば、と今から緊張している。
Amazonギフト券ならよかったのに(勝手)


最近はつわりと体力低下のせいで、通勤時に周りを見たり、歩きながら写真を撮ったりする余裕がないのだけど、落ち着いたらまた、いろいろ見て、いろいろ考えて、書いていけたらいいな。


f:id:macskak:20160718230036j:image

少し前に駅のホームを小走りしていたセグロセキレイ



ZABADAKにまつわる記憶

10年前の冬、大学の後輩が亡くなった。
いつもにこにこしている、猫と音楽が大好きな人だった。
彼の音楽の守備範囲は広く、私が名前も知らないような海外の人も多かったけど、邦楽になると意外と趣味が似ていた。
それほど親しいわけではなかったのに、なぜか卒業後に、他の後輩と三人で小島麻由美の学園祭ライブを観にいったことがある。
風船と紙コップ、改札で手を振る笑顔。
それが最後に見た彼の姿だった。

いつか飲み会で彼とZABADAKの話をした。
その人もZABADAKが好きだったのだ。
別の人の、あの声がちょっと苦手、という意見に遮られてあまり深くは話せなかったが、私は、うれしかった。
マニアックなほどの音楽好きで一目置かれるその人と、同じ音楽を聴いていることが。


初めて聴いたのは中学の時、友達の家でだった。
一曲めの「満ち潮の夜」を聴いた瞬間に、なんだこれ、と衝撃を受けた。今まで聴いたことのある、どんな音楽とも似ていない。
こんな音楽が、あるのか。

それから自分で買ったり、レンタル店で借りたり(いま思うと、あんな田舎町によく置いてあったなあという気がする)して、少しずつ手元に揃えていった。

大学の頃か、卒業後か、一度ライブにも行ったことがある。
開演前の会場前で、幾人かがリコーダーを吹いていて、なにごと、と思ったらライブ中に自由参加でリコーダーを吹く企画があった。
あったと思う。
その頃の記憶が全体的に曖昧で残念。



後輩の葬儀のあと、頭の中で、ずっと「光降る朝」が流れていた。
口ずさんでみる。

人恋しくなる長い夜を
これから誰と二人で生きても
瞳の先に光を見つめていこう


猫と音楽でいっぱいの、光の庭に彼は行ったのだと思った。
やさしい光に満ちた、とてもとても美しい庭。
そして私は彼の生きられなかった未来にいるのだと。


光降る朝

光降る朝



吉良さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
すばらしい音楽を、思い出を、ありがとう。



妊婦向け雑誌の感想など

非日常が日常になりつつある妊婦生活。
出勤日をなんとか乗りきるため、休みの日はひたすら休む。寝て食べて寝て、おなかがへって起きて食べてまた寝る。
それがデフォルトになってきた。

先月半ばに妊娠がわかって、とりあえず、何をしたらいけないのか、何を食べたらいけないのか、を知らねばならない。 
ネットには情報が溢れているが、まあまずは雑誌でも買ってみるか、と本屋に行く。
適当に買う。
読んでみる。

もちろん参考になる情報はたくさんあり、とても参考になりました、どうもです、というのは前提として引っかかることいくつか。



  • 妊娠2,3,4,5ヶ月の妊婦向けを謳っているのにベビー用品の広告が豊富
ページをめくっていると、突然ベビーカーとかおもちゃとか赤ちゃんの肌に優しい洗剤とかが出てきて、それはいくらなんでも早くないか、と。
妊婦初期での流産の確率は15%といわれている。
そういう、まだ安定期にも入っていない層を対象にしているはずなのに、これは…。
まだ何が起こるかわからない時期で、しかも実際それが必要になるのは半年も先で、その頃になればまた新製品も出てるだろうし、今こんなの見る意味あんのか、と思って、見ていない。



  • ものすごい勢いで妊娠線ケアグッズを推してくる
同じ商品の広告やタイアップ記事が何度も出てくる。
まあ、さっきのベビー用品との関連もあって、仕方ないのかなあとも思う。
雑誌は広告収入が命。
実際、この雑誌の半分は広告と通販ページだ。
そして妊娠初期の妊婦に必要なものといえば、マタニティ用下着かサプリメントか妊娠線ケアグッズか、というところなんだろう。
でもそれだけでは稼げない。
だからベビー用品なんかも出てきちゃう。

と思っていたが、つわりが本格的に始まってきて、今の私に必要なのは、食事がらくになる、食事を楽しめるグッズだ。
おなかはへるけど、頻繁にへって頻繁に食べているので、もう食べるのがめんどくさい。
なので、作るのも食べるのもらくになるためのなにか、の情報があってもいいのにと思う。

たとえばウォーターサーバーがあったらお湯を沸かさなくていいからフリーズドライの雑炊とかすぐ食べられていいな、とか。
ウォーターサーバー自体はベビー用品のページで紹介されてたけど。
レンジで簡単に蒸しパンが作れるグッズとか。
食洗機とかロボット掃除機のような、家事がらくになる商品でもいいし、意外といろいろあるんではないのかなあ。

と、ここまで考えて改めて雑誌を見返してみると、純広告というより、大半は「これ、ここで買えます」という、自社の通販サイトへの誘導なのだった。
なんだ。



  • 妊婦に冷えは厳禁と言いつつ、マタニティウェアの特集でみんな脚出しすぎ
私はもともと膝から下が冷えるとすぐ体調を崩す体質で、夏でも靴下かタイツは必須なのである。
だから本当に意味がわからない。
みんな脚出して冷えないの?

まあ雑誌の中だけの話かな、と思っていたらそうではなかった。
先日、検診に行ったら、けっこうみんな生足で、二の腕も出して平気な顔をしているのだ。
待合室の冷房が寒くてたまらず、長袖の上にカーディガンを着て、膝掛けも持ってくればよかった、と悔いている私の目の前で。
本当に意味がわからない。

個人的に、寒がりな女の子はかわいいと思うのだが、残念ながら私は寒いのが苦手なわけではない。
冬の寒さは大好きだ。
夏の暑さは嫌いだ。
いちばん嫌いなのが、冬に空調で汗をかくこと、夏に空調で冷えること。
とにかく、空調に弱い。
子供の頃からエアコンのない環境で育ったせいかもしれない。

そんなわけで、マタニティウェアで脚出しすぎ問題は、別に他の人には問題でもなんでもないらしいことがわかりました。



他には、
昆布は1g摂取するだけでもヨウ素の基準値を越えてしまうからダメ、昆布だしも気をつけて、とネットで見かけたが、雑誌では、つわりの時期は酢こんぶで乗り切りました! みたいな人が載っていて、これどっちなの、とか。
なんかよくわからない。
妊婦の世界、意味わかんない。

ネットの情報は玉石混淆だし、雑誌は商業主義に走りがちだし、結局、わかんないことは産婦人科の先生に訊く、が一番なんだろう。


妊すぐ 2016年 07 月号 [雑誌]: 赤すぐ 増刊

妊すぐ 2016年 07 月号 [雑誌]: 赤すぐ 増刊


もちろん役立つ情報もたくさんありましたよ!
でもマタニティマークは変な方向いちゃってちょっと使いにくい。


100万円と見込み収入

今週のお題「もしも100万円が手に入ったら」


臨時収入として100万円入るなら、今すぐ会社を辞める手続きに入る。
なぜなら、妊娠したので。


現在2ヶ月。

いわゆる食べつわりというものらしく、空腹だと吐き気が増す。こまめになにか口にして、吐き気を抑えるが、そうするとおなかをこわしたりする。
体が熱くて、夜中に頻繁に目が覚める。そのたびにヨーグルトやゼリーやビスケットを食べて、空腹を抑える。食欲はないけど、食べないと気持ち悪くなるから、無理やり食べる。

片道一時間半の通勤は、電車に乗っている時間は短いしほとんど座れるのだが、なにしろ歩く距離が長い。
仕事自体は事務でずっと座っていられるし、好きなときにトイレにも行ける。
でも7時間もパソコンに向かっているのは、やっぱり、それなりに疲れる。
そこから駅までの道のりの長さ。
汗をかいて電車に乗れば、今度は寒くて気持ち悪くなる。
電車を降りて、家までまた20分近く歩く。


何を食べても吐いてしまうようなつわりに比べれば、はるかに楽だとは思う。
友達はそれでとても働ける状態ではなくなり、仕事を辞めた。8kgも痩せたという。
比べてはるかに楽とはいえ、平常時に比べれば、きつい。体の違和感も疲れやすさも寝不足も、寒さも気持ち悪さも。
世の中の母親というものは皆、太古の昔から脈々とこれを乗り越えてきたのか、と思うとくらくらする。


夫は、無理して働かなくてもいいよ、と言う。
しかし、現在月に12日ほどの出勤で、月収が10万円強。
産休を取ることはたぶん出来ず、出産前に辞めることになるが、それまで、例えばあと半年働いたら、得られる収入は60万。
うちの猫(持病持ち)にかかる費用に換算すれば、2年分くらいか。
今だけ耐えれば、どうにかやり過ごせば、安定期に入ればきっと少し楽になるにちがいない(イメージ)。
だから辞めない。


つまり今の私は、自信をもって100%、お金のためだけに働いている。
具体的な見込み収入60万のために。

なので、ぽんと100万円が手に入るなら、辞める。
今のしんどい時期に働かなくては手に入らないはずのお金が、何もしなくて手に入るなら、それは、辞めます。
合わせたら160万だよ? とかは考えない。もともとないはずのお金だから。
いや、ないはずというか、ないんだけど。

…ないんだけど。

ないから、辞めずにがんばります。



f:id:macskak:20160702170621j:image
のうぜんかずらの季節

上半期をふりかえる(4月から6月)

今週のお題「2016上半期」


続き。

4月にブログを始めた。
でも最初の頃は何をどこまで書いたらいいのかわからなくて、改めて日記を見てみたら、これブログに書いてもよかったのではないか、という出来事もちらほら。
なにしろ帰省してるし。

実家は雪国なので、春が遅い。
4月の後半に、今年の桜は早いよ、もう咲き始めたよ、との情報を母から得て、週末に急遽帰省。
雪国の春は本当に美しいのだ。
雪が解けたあと、一斉に芽吹き、ほどけていく。
桜だってソメイヨシノばかりではない。むしろ近所にはソメイヨシノの方が少ない。山には山桜、公園には枝垂れの八重桜、鬱金御衣黄。地面にはたんぽぽ、姫踊子草、オオイヌノフグリ水芭蕉カタクリ、野生の菫。
春、最高。

f:id:macskak:20160629195318j:image
春の妖精


f:id:macskak:20160629195333j:image
ぽこんぽこんしてかわいい



ほかに印象的だったのは、ショートメールで人とやりとりする機会が多かったことだ。


帰省するその日の朝、Evernoteメールマガジンをなんとなく見ていたら、昔の友人がインタビューされていて、うおおと思ってメールを送るが、届かない。もう5年くらい連絡をとっていなかったから、そりゃそうか、と思う。
でも、元気そうでうれしいと伝えたい。私も元気だよと伝えたい。
本当にお世話になった人なのだ。

携帯メールが不通なら、ショートメールだねフフフ、と1月の経験を生かして送ってみたら、まもなく返事が来た。
あの頃ほんとうにありがとう、とも改めて伝えたかったけど、向こうは仕事中のようだし、手短に切り上げた。


その人とは、まさに雪国で暮らしていた頃に仕事で出会ったのだけど、当時の職場の所長にも、今から帰りますけど明日会社にいますか? とショートメールで送った。
結婚したときに報告したら、たまには遊びにこいよ! と言ってくれていたので。
今回は残念ながら仕事で別の場所にいるということで、会えず。


その数日後、大学時代の友人から、ショートメールが来た。
彼の会社の社長がうちの弟(大学が同じだったので彼とも顔見知りで、現在雪国の地方公務員)と会う機会があり、お世話になりました、というたわいない内容。
お互いの近況を軽くやりとりする。
もうすぐ子供が生まれるらしい。


そんな感じで、去年は二回くらい使ったかな? 程度の(そのうち一回は前述の所長だ)ショートメールに年始からやけにお世話になった上半期だった。
ナンバーポータビリティとかいうあれのおかげで、アドレスは変わっても電話番号は変わらない人が多いので、これは便利なシステムだなあ、と実感。


5月以降はちょこちょこブログに書いてるので、いいかな!
時間切れ!


ブログを始めて、少しずついろんな方に見ていただけるようになり、ありがたいかぎりです。
こんな毒にも薬にもならないような文章を、読んでくださる方。スターをくださる方。
本当にありがとうございます。
精進します。