マタニティブルー的なものを分析してみる、その2
前回の記事に続いて、不安なこと、ふたつめ。
出産といえば、鼻からスイカと言われるくらい、とにかく死ぬほど痛いというが、実は私は、痛み自体はそれほど怖くはない。
もともと生理痛がかなり重く、痛みで意識が飛んだことがあるくらいなので、分娩中に気を失ってしまったらどうしようとは思うけど。
耐えれば終わるものなら、たぶん耐えられる、と思う。
怖いのは万が一の事態が起こることだ。
私が突然に終わってしまうこと。
だれもが経験する尋常でない痛みより、ごく稀にしか起こらない、だけど確実に起こらないとは言いきれない、不測の事態が自分の身に降りかかることのほうが、ずっとずっと怖い。
もし私が死んだら、夫から私の両親や友達に連絡してもらわなくてはいけないのか、と考えると、夫の心情を思って泣きそうになる。
私に万が一のことがあったら、猫たちをよろしくね、とめそめそしながら言うと笑われた。
夫は本来とても心配性で、そんな彼が最悪の事態をまったく考えていないなんてことはないのだと思うが、考えないようにしているのかもしれない。
しかし、世の中に絶対などないのだ。
それを言ったら、明日ミサイルが飛んできて、とか、もっと現実的に何か事故が起きて、という可能性もゼロではないので、本当にきりのない話なのだけど。
さらに、もしも私か赤子のどちらかしか助からない状況になったら、とも考える。
まだ、生きたい。
といって、いま、この体の中で手足を動かし、ぐにゃりと向きを変え、しゃっくりをしている生き物は、まだ外に出てきていないだけで、もう完全に私とは別の命なのだ。
それが私より大切でないなんて言えない。
どうしたら、死にたい なんて思わずに生きられるのかな 空しらじらと
という歌をずいぶん昔に作ったことがある。
ふとしたときに、死にたいような投げやりな絶望感が出てくることが、実は最近までたまにあったのだけど、今はとにかく、生きねばと思う。
生きて子供に会いたいし、夫にも親にも会わせたい。
私も赤子もどちらも無事であることを、祈るしかない。
神様、それから先生、どうか。
そういえば元日に引いたおみくじでは、安産と言われたのだった。
信じます。